乾正(かんせい)は、『譜』の国が誇る益荒男だった。
身の丈や身の幅こそ並外れているという程ではないが、その腕力たるや凄まじく、
太刀を振り下ろせば受け止めようとした相手の矛ごと兜を叩き斬るような有様だ。
その乾正ほどの男を留めておくには、譜という国は小さく、貧しすぎた。
それゆえ、譜が新たに同盟を結んだ『庚』の国の将として乾正が引き抜かれたとき、
文句を言うものは出なかった。
庚は譜とは比較にならないほどに栄えている都だ。
その庚の国の将には、それぞれ一人ずつに副官が宛がわれる事を、乾正は王の言葉で知った。
「お前の副官となるのはこれだ。自分の為に、好きに使え。自分の為にな」
庚の王はそう告げ、部屋の傍らに立つ一人を示す。
それは何とも線の細い男に見えた。背丈も小さく、肩も華奢なものだ。
「杷采(はさい)に御座います」
男は落ち着いた声で告げながら、顔に掛かった布を僅かに持ち上げた。
肌は白磁のように美しく、艶やかな黒髪を頭の上に纏め、穏やかな瞳がやや切れ長に走る。
麗人という表現が相応しい、中世的な顔立ちの持ち主だ。
しかし、武こそ全てと考える乾正には優男という印象が強い。
乾正はずいと立ち上がり、杷采と名乗る者に歩み寄った後、やおら太刀を振り上げた。
刃は風を切りながら杷采に迫り、彼の首の皮一枚でようやく止まる。
「…………っ!!」
しかしこの行為で顔色を変えたのは、仕掛けた乾正の方だった。
端正な顔が恐怖に引きつるという予想は覆され、目の前の男は瞬きすらしていない。
湖のように静かな瞳で、乾正の瞳を見上げているだけだ。
ごくりと歴戦の猛者は喉を鳴らした。この男、底が知れない。
「はっはっは、肝が据わっておろう。そう見えても色々と頼りになる奴だ」
庚王の笑い声がする。そこで、乾正はひとつ思い出す。
先ほど庚王は、目の前のこの副官を“好きに使え”と表現した。
故あってであろうその言葉選びが、どうにも引っ掛かる。
また、自分の為にと強調していたのも気がかりだ。
ともあれ乾正は、こうして将の地位と、一人の底知れない腹心を得たのだった。
宛がわれた屋敷に移って杷采と話すうち、乾正は内心でその頭の良さに感服した。
杷采は乾正の身の上話をいくつか聞く内に、その人となりを正確に分析してしまった。
その分析には、彼の十年来の友ですら気づいていない気質も含まれている。
また古今東西の兵法書にも通じており、乾正がかろうじて名前を知る程度の奇書についても、その内容を諳んじてみせた。
さらに知識があるばかりでなく、それを活かすだけの頭も持ち合わせている。
事実、杷采は乾正が直前に行った戦について言及し、中盤で後手に回った軍略の甘さを指摘した。
その指摘には一部の隙もなく、乾正としてはぐうの音も出ない。
少なくとも策士としては得がたい存在である事を、この益荒男ですらも認めざるを得なかった。
しかし彼にとって本当の驚きは、その日の夜に訪れる。
「酒を、お持ちしました」
夜、窓から月を眺めていた乾正の元に、引き戸を開いて一人の娘が現れた。
肩に垂らした柔らかそうな黒髪、白磁のような肌、瑞々しさを感じさせる瞳。
それまで戦にかまけて女というものを知らなかった乾正は、思わず生唾を呑み込む。
「……名は、なんと申す」
杯に酒を注ぐ娘を見やりながら、乾正は問うた。
すると娘はふわりと笑いながら乾正を仰ぎ見る。
「これは異なことを」
鈴を揺らすような声が、桜色の唇から漏れた。
「昼にもお会いした、杷采に御座います」
その言葉に、乾正はいよいよ目を丸くする。
馬鹿な。杷采は優男風でこそあったが、声も、居姿も、男と見て違和感のないものではなかったか。
しかしながら、言われてみれば目の前のこの娘と顔の輪郭が一致する。
声もよくよく思い出せば、男と女のちょうど中間、どちらとも言えないものだったように思える。
と、すれば、目の前のこの美女然とした姿も偽りに思えてくる。
その実は男なのか、女なのか。
「何者だ、お前は」
「あなたの副官です、乾正様」
「そうではない。…………何者だ」
重ねて素性を問い質す乾正に、杷采は軽く微笑みを向け、
「“仙”です」
と答えた。聞き慣れない言葉に乾正がそれを繰り返す。
「仙とは、仙道を会得した者を指す言葉です。仙道を修めれば、男や女、老いや若きという別は無くなります。
あなたが昼間に会った男も、今ここに女として居る私も、いずれも同じ杷采なのです。
ただ、あなたの求める者に応じて姿を変えるだけの」
その言葉は乾正にとって、解るような解らぬような、霞の如く実体の掴めぬものだった。
しかし、薄衣で座する娘を前にして、確信めいたものもある。
「……なるほど。では今のお前は、おれの夜伽の相手をする為にここに居る。そうだな、杷采」
女を知らぬ者に特有の焦りを孕みながら、乾正は絹に包まれた杷采の肩を掴んだ。
杷采はそれを嫌がる素振りもない。
いつしかその身体からはほのかに甘い匂いが立ち上っている事に、乾正は気がつく。
「左様に御座います」
杷采は、女の表情を作って吐き出すように告げた。
※
杷采の性技は実に巧みなものだった。
およそそれは、性経験のない乾正などが抗えるものではない。
手指で形作った擬似の性器で柔らかく締め上げ、指の腹で敏感な粘膜を撫で回す。
そうして血管が浮き出るほどに隆起した怒張を、馬乗りになったまま杷采の肉の裂け目が咥え込む。
「ううっ!」
乾正はその心地よさに、意識せず声を漏らしていた。
猫の舌のような襞が怒張を擦り上げ、また強烈に絡みつく。
その未知の快感の前には、乾正など数分ともたずに精を搾り取られる。
しかしあまりの心地よさのせいか、あるいは生来の絶倫であるのか、乾正は一度果てた後もまだ余力が滾っていた。
杷采はそれを見通したかのように、引き続けて彼の身体を求める。
杷采はあらゆる面で巧みだった。
経験の少ない乾正を導くばかりでなく、その矜持を傷つけぬように彼に責めさせる事もする。
情欲の燃えるままに乳房を揉みしだかせ、秘裂への口づけを許した。
乾正の拙い技術ゆえに痛みを伴うこともあっただろうが、顔を顰めるような事はひと時たりともない。
あくまで男であり、主人である乾正を立てながら性の快楽を教え込む。
それによって乾正の初夜は、最高の気分で終わりを迎えたのだった。
その日より杷采は、昼は端正な副官として乾正の戦を助け、夜は美しい女として臥所を共にするようになった。
杷采が女である事を知るものは乾正の周りにはおらず、むしろ麗人として婦人の間でばかり人気を得ているとも聞く。
それが夜となれば、道行くどんな女よりも艶めく女体を晒すのだから、乾正としては不思議なものだ。
そして得体が知れないのは、男女の別ばかりではない。
乾正は杷采を様々に責め立てながらも、彼女が本当に感じているのか疑わしく感じる事があった。
征服欲を満たすべく背後から抱くと、杷采は艶かしい喘ぎを上げる。身体が汗で光ってもいる。
けれども乾正が果てて休息している折に、ふと背を向けたままの杷采に軍略についての問いを投げると、
杷采は理路整然とそれに答える。
そこには激しく交わって疲労困憊のはずの女の姿はなく、涼やかな昼の顔があるのみだ。
それを目の当たりにする時、乾正は今までの彼女の全てが演技だったのではという疑心に駆られる。
改めて見れば、杷采の底の知れなさは尋常ではない。
まず彼女は、物を食べるという事への執着がまるでないようだった。
無論、乾正に付き合って食べる事はする。しかしそれ以外で、彼女が個人的な食事を摂る姿は見かけたことがない。
また、澄まし顔が歪む姿を見たいという悪戯心から、彼女が飲む茶に強烈な腹下しを混ぜた事もある。
しかしその後に何時間軍議を重ねようとも、彼女は席を外すことはおろか、顔を顰める事すらしなかった。
それ以外にも、杷采がやや離れた部屋で話をしている姿を見かけた数秒の後、彼女自身に背後から声を掛けられた事もある。
まるで、数十間という長さの廊下を一瞬の内に移動したかのごとく。
それらを目撃するうちに、乾正は彼女のことを、白昼から目にする幽霊の類ではと思うことすらあった。
あるいは、彼女が問うたびに答えるように、仙人のようなものなのか。
しかし、夜になって彼女を抱くたび、乾正はそれを否定したくなる。
抱きしめれば吸い付くような柔らかな肉肌は、幽霊のものではあるはずがない。
仙人なる存在が、乾正の愛撫で昂ぶった折に、若干の生臭さを感じさせる吐息を吐くはずがない。
あれは人間なのだ。それで間違いないはずなのだ。
ではなぜ、彼女に関する数々の不可解さが解消しない。
乾正は幾度となくそう苦悶し、時には杷采自身にもその疑いを打ち明けた。
杷采はそのたびに、正体を追求してくれるな、自分を所有物と割り切って“使えば”いいと答える。
それは、初めに庚の王が告げた言葉と同じだった。
乾正は生来負けず嫌いだった事もあり、人から与えられるその結論で良しとはしない。
何とかして杷采という人間の底を見ようと、思いつく先から様々な奉仕を行わせた。
この時代においてはまだ不浄の行為として忌み嫌われていた、口で逸物を舐めしゃぶらせる事もさせた。
しかし杷采は一切嫌な顔をする事もなく、喉の奥深くまで無理矢理に咥えさせられても奉仕を続けた。
杷采とて、声を出す喉構造をもった一人の人間だ。
喉奥を逸物で抉られれば、嘔吐を思わせるような呻き声が漏れる。涎も次々に溢れ出てくる。
しかしながら、屈する様子はまるでない。事が終われば、顔をつるりと拭って涼しい表情に戻る。
「一晩中、俺の尻穴だけを舐ってろ」
乾正は自分が命じられては困ることと考え、このように告げもした。
しかしやはりこの場合も、杷采は粛々と言葉に従う。
寝台の上に寝そべった乾正の足の間に屈み込み、舌先のみでもって延々と尻穴を嘗め回す。
細い指で尻肉を分けながら、尻穴に吸い付き、嘗め回し、舌を入れ、啜り上げる。
「ああ、お……うう!……ぁあ…………ああ、お…………うう…………」
それは乾正自身が思っていたよりも、遥かに心地のいい事だった。
彼は完全にされるがままになりながら、その刻一刻と高まる未知の快感に声を漏らす。
そうして一晩どころか一時間と経たない内に、勃起した怒張を痙攣させ、白濁を三度、四度と噴き出して果ててしまった。
乾正が相手をするやり方では翻弄されるばかりと悟り、杷采を膝立ちで拘束したまま、女官三人に責めさせた事もある。
赦しを請わせる事ができれば金子をやる、と言い含められているため、女達は必死に杷采の細身を責め上げる。
耳元で何事かを口々に罵り、乳首を指で挟み潰し、秘裂に指を入れて水音も高らかにかき回す。
しかし、隣室で酒を喰らって一眠りした乾正が翌朝部屋に入ると、杷采は疲れきった女官の中心で平然としていた。
乳房は女の無数の手形で赤らみ、膝立ちになった秘裂からは夥しい愛液が溢れて床に滴っている。
床には様々な太さの張り型や芋茎が転がっており、女達が総力を挙げて責め立てていた名残が残っている。
それでも杷采は折れていなかった。
「この私がお仕えするのは、『あなただけ』です。乾正様」
静かな瞳でそう告げる杷采。
その言葉を聞いて、乾正はひとつ新たな責めを思いついた。それで本当に最後にしようと考えていた。
しかし何の因果か、最後と決めたその責めこそが唯一、杷采に激しい動揺をもたらす事となるのだった。
乾正には、同じ庚の国の将に仲間がいる。名を軒句(けんく)という。
乾正と軒句とは、仕官し始めた時期も近ければ、宛がわれた屋敷も隣同士。
軒句とその副官が揃って屋敷から出てくる姿を、乾正は幾度か目にしていたし、その逆も然りだ。
軒句もまた、彼の副官に関して疑いを抱えているらしく、それゆえに乾正の企みには易々と乗った。
企みとはすなわち、互いの副官を入れ替えて交わること。
お互いにたっぷりと酒を入れた後、目隠しをして一旦放置する。
そして部屋を出た主が再び帰ってきたと見せかけて、そこに現れるのは隣の屋敷の主だという寸法だ。
勿論、あらかじめ門番や使用人には話を通しておき、無用な混乱は避ける。
兵は拙速を尊ぶとばかりに、二人はこの計画を話し合ったその日の晩、お互いの副官に酒を入れた。
「さて、今日は目隠しをするぞ。視覚を遮る事で、感覚が鋭敏になると聞く」
乾正はそう言いながら、杷采の目に細長い布を巻きつけ、後頭部で結び合わせた。
さらに、暴れる事を予想してその手首を後ろで結わえもする。
こうした事は、夜の営みに飽きが来ないよう、杷采自らが薦める事でもあった。
その辺り、彼女は乾正という武将の征服欲の強さをよく理解していたといえる。
準備を整えた後、乾正は障子を開け放って隣の屋敷を見やった。
軒句の屋敷とはさほど離れておらず、その気になれば屋根伝いに飛び移れるほどの距離しかない。
ゆえに、軒句の家で行われている夜の営みの声が、一息ついている乾正達に聴こえる事もしばしばあった。
開け放った障子の向こうには、窓越しに軒句の臥所の様子が伺える。
そちらでも副官を後ろ手に縛り上げており、乾正に向けて準備万端という合図を送っている所だった。
二人の男は小便がしたくなったと言って部屋を抜け出し、互いの門の前でほくそ笑む。
いつもの相手と交わると思っておいて、全く別の男に抱かれるとなれば、これは仙人を名乗る彼女らとて取り乱すだろう。
今までの彼女らの余裕は、あくまでその主人が相手だと解っていればこその物であったに違いない。
そう確信めいたものを感じ、かつこれが上手くいかなかったとしても、どのみち最後の悪戯だと腹を決めて屋敷へ入る。
見慣れない屋敷を通り、見慣れない部屋に入り、見慣れない女の裸体を前にする。
そしてその白い腰を掴み、エラの張った逸物の先を柔肉へと押し当てた。
「いっ、いやぁあああああああっ!」
その叫びは、乾正の部屋から沸き起こった。
見れば、後ろ手に縛られた杷采が身を捩りながら、軒句から逃れようとしている。
挿入された瞬間に替え玉に気づいたらしい。
軒句の体格は乾正よりも数周り大きく、巨人とも言うべき恰幅の良さだ。
はっきりと見た事はないが、逸物も乾正のものより立派だろうと予想された。
それゆえすぐに解ったのだろうか。
「誰です、おまえは!!おまえは一体、誰ですっ!!ああ、乾正様、……乾正様っっ!!!!」
そう叫びながら床を這いまわり、しかし軒句の剛力に引き寄せられる。
そしてその様子は、乾正の場合も同じだった。
乾正は、あらかじめ軒句から副官の尻穴を念入りに調教している話を聞いていた為に、
興味本位でその尻穴に挿入していた。
膣とはまた違う、怒張の根元を食いちぎるかのような締め付けが面白く、夢中になって抜き差しを繰り返す。
しかしその腕の下では、子供のように胸から何からが平坦な身体が暴れまわっている。
「やめてぇっ、おやめくださいっ!!わ、わたしの全ては、軒句様の為のもの!
軒句様以外の方と交わっては………………っ!!」
何という忠誠心だろう。
主人でない者の逸物に貫かれて狂乱する副官を見ながら、乾正は思った。
そして同時に、今自分が抱いている女が、あの杷采に比べて何と物足りなく思える事か。
単に尻穴と膣の違いというだけではない。身体のサイズ、成熟度、肌触り、汗の匂い。それら全てが違う。
まるで杷采とは、自分にとって理想の女性が体現したものではないか。そう思える。
そしてそれは、軒句とて同じようだった。
しかしそう気づいた二人が逸物を抜こうとした、その瞬間。
彼が今の今まで触れていた女体が、急にその質量を失っていく。
まるで濃厚な霞が四散していくように、手足を柔らかに通り抜けていく。
「…………っ!?な、何だこれは……お、おい!!」
二人の主は、思わず遠くにいる自らの従者を見やった。
そしてそのいずれもが白い霞になって消えていくのを見たとき、彼らは涙を流していた。
――――乾正様
淡々とした、低く落ち着いた男の声が呼びかけてくる。
――――乾正様……。
鈴を揺らすような、甘く澄み切った女の声も呼びかけてくる。
そしてそれを最後に、毎夜の如く耳にしていた声は二度と聴こえなくなった。
「杷采!杷采、どこだ!!戯れはもう良い、姿を現せ、杷采!!」
すでに霞の欠片も見えない部屋の中、乾正は叫ぶ。
一度姿を見失っても、また不意に後ろからでも声を掛けてくるかもしれない。そう希望を持った。
しかしどれだけ待とうとも、声を掛けられる事はない。
彼自身の部屋へ戻り、確かに杷采が身を横たえていたはずの布団を手にしても、
その温もりはおろか匂いまでもが綺麗に消え去っていた。
彼らはこの時、ようやくにして気がついた。
自分達がどれほど意味の無いことに執着を燃やしていたのかに。
自分の正体に興味を持つな、ただ道具として使っていればいいと言われた意味に。
二人の主は、愛していた女性の名残さえ残っていない部屋の中で、男泣きに泣いた。
後に、この乾正・軒句は名を改めながら、庚の領土拡大にめざましい貢献をする。
情を置き捨て、盤上の駒を動かすが如く冷徹に戦局を動かすその様は、広く他国に恐れられた。
しかし妙な事に、稀代の覇者として名を馳せる彼らは、どちらも生涯一人しか副官を置かず、伴侶と結ばれる事もついに無かったという。
終
続きを読む
身の丈や身の幅こそ並外れているという程ではないが、その腕力たるや凄まじく、
太刀を振り下ろせば受け止めようとした相手の矛ごと兜を叩き斬るような有様だ。
その乾正ほどの男を留めておくには、譜という国は小さく、貧しすぎた。
それゆえ、譜が新たに同盟を結んだ『庚』の国の将として乾正が引き抜かれたとき、
文句を言うものは出なかった。
庚は譜とは比較にならないほどに栄えている都だ。
その庚の国の将には、それぞれ一人ずつに副官が宛がわれる事を、乾正は王の言葉で知った。
「お前の副官となるのはこれだ。自分の為に、好きに使え。自分の為にな」
庚の王はそう告げ、部屋の傍らに立つ一人を示す。
それは何とも線の細い男に見えた。背丈も小さく、肩も華奢なものだ。
「杷采(はさい)に御座います」
男は落ち着いた声で告げながら、顔に掛かった布を僅かに持ち上げた。
肌は白磁のように美しく、艶やかな黒髪を頭の上に纏め、穏やかな瞳がやや切れ長に走る。
麗人という表現が相応しい、中世的な顔立ちの持ち主だ。
しかし、武こそ全てと考える乾正には優男という印象が強い。
乾正はずいと立ち上がり、杷采と名乗る者に歩み寄った後、やおら太刀を振り上げた。
刃は風を切りながら杷采に迫り、彼の首の皮一枚でようやく止まる。
「…………っ!!」
しかしこの行為で顔色を変えたのは、仕掛けた乾正の方だった。
端正な顔が恐怖に引きつるという予想は覆され、目の前の男は瞬きすらしていない。
湖のように静かな瞳で、乾正の瞳を見上げているだけだ。
ごくりと歴戦の猛者は喉を鳴らした。この男、底が知れない。
「はっはっは、肝が据わっておろう。そう見えても色々と頼りになる奴だ」
庚王の笑い声がする。そこで、乾正はひとつ思い出す。
先ほど庚王は、目の前のこの副官を“好きに使え”と表現した。
故あってであろうその言葉選びが、どうにも引っ掛かる。
また、自分の為にと強調していたのも気がかりだ。
ともあれ乾正は、こうして将の地位と、一人の底知れない腹心を得たのだった。
宛がわれた屋敷に移って杷采と話すうち、乾正は内心でその頭の良さに感服した。
杷采は乾正の身の上話をいくつか聞く内に、その人となりを正確に分析してしまった。
その分析には、彼の十年来の友ですら気づいていない気質も含まれている。
また古今東西の兵法書にも通じており、乾正がかろうじて名前を知る程度の奇書についても、その内容を諳んじてみせた。
さらに知識があるばかりでなく、それを活かすだけの頭も持ち合わせている。
事実、杷采は乾正が直前に行った戦について言及し、中盤で後手に回った軍略の甘さを指摘した。
その指摘には一部の隙もなく、乾正としてはぐうの音も出ない。
少なくとも策士としては得がたい存在である事を、この益荒男ですらも認めざるを得なかった。
しかし彼にとって本当の驚きは、その日の夜に訪れる。
「酒を、お持ちしました」
夜、窓から月を眺めていた乾正の元に、引き戸を開いて一人の娘が現れた。
肩に垂らした柔らかそうな黒髪、白磁のような肌、瑞々しさを感じさせる瞳。
それまで戦にかまけて女というものを知らなかった乾正は、思わず生唾を呑み込む。
「……名は、なんと申す」
杯に酒を注ぐ娘を見やりながら、乾正は問うた。
すると娘はふわりと笑いながら乾正を仰ぎ見る。
「これは異なことを」
鈴を揺らすような声が、桜色の唇から漏れた。
「昼にもお会いした、杷采に御座います」
その言葉に、乾正はいよいよ目を丸くする。
馬鹿な。杷采は優男風でこそあったが、声も、居姿も、男と見て違和感のないものではなかったか。
しかしながら、言われてみれば目の前のこの娘と顔の輪郭が一致する。
声もよくよく思い出せば、男と女のちょうど中間、どちらとも言えないものだったように思える。
と、すれば、目の前のこの美女然とした姿も偽りに思えてくる。
その実は男なのか、女なのか。
「何者だ、お前は」
「あなたの副官です、乾正様」
「そうではない。…………何者だ」
重ねて素性を問い質す乾正に、杷采は軽く微笑みを向け、
「“仙”です」
と答えた。聞き慣れない言葉に乾正がそれを繰り返す。
「仙とは、仙道を会得した者を指す言葉です。仙道を修めれば、男や女、老いや若きという別は無くなります。
あなたが昼間に会った男も、今ここに女として居る私も、いずれも同じ杷采なのです。
ただ、あなたの求める者に応じて姿を変えるだけの」
その言葉は乾正にとって、解るような解らぬような、霞の如く実体の掴めぬものだった。
しかし、薄衣で座する娘を前にして、確信めいたものもある。
「……なるほど。では今のお前は、おれの夜伽の相手をする為にここに居る。そうだな、杷采」
女を知らぬ者に特有の焦りを孕みながら、乾正は絹に包まれた杷采の肩を掴んだ。
杷采はそれを嫌がる素振りもない。
いつしかその身体からはほのかに甘い匂いが立ち上っている事に、乾正は気がつく。
「左様に御座います」
杷采は、女の表情を作って吐き出すように告げた。
※
杷采の性技は実に巧みなものだった。
およそそれは、性経験のない乾正などが抗えるものではない。
手指で形作った擬似の性器で柔らかく締め上げ、指の腹で敏感な粘膜を撫で回す。
そうして血管が浮き出るほどに隆起した怒張を、馬乗りになったまま杷采の肉の裂け目が咥え込む。
「ううっ!」
乾正はその心地よさに、意識せず声を漏らしていた。
猫の舌のような襞が怒張を擦り上げ、また強烈に絡みつく。
その未知の快感の前には、乾正など数分ともたずに精を搾り取られる。
しかしあまりの心地よさのせいか、あるいは生来の絶倫であるのか、乾正は一度果てた後もまだ余力が滾っていた。
杷采はそれを見通したかのように、引き続けて彼の身体を求める。
杷采はあらゆる面で巧みだった。
経験の少ない乾正を導くばかりでなく、その矜持を傷つけぬように彼に責めさせる事もする。
情欲の燃えるままに乳房を揉みしだかせ、秘裂への口づけを許した。
乾正の拙い技術ゆえに痛みを伴うこともあっただろうが、顔を顰めるような事はひと時たりともない。
あくまで男であり、主人である乾正を立てながら性の快楽を教え込む。
それによって乾正の初夜は、最高の気分で終わりを迎えたのだった。
その日より杷采は、昼は端正な副官として乾正の戦を助け、夜は美しい女として臥所を共にするようになった。
杷采が女である事を知るものは乾正の周りにはおらず、むしろ麗人として婦人の間でばかり人気を得ているとも聞く。
それが夜となれば、道行くどんな女よりも艶めく女体を晒すのだから、乾正としては不思議なものだ。
そして得体が知れないのは、男女の別ばかりではない。
乾正は杷采を様々に責め立てながらも、彼女が本当に感じているのか疑わしく感じる事があった。
征服欲を満たすべく背後から抱くと、杷采は艶かしい喘ぎを上げる。身体が汗で光ってもいる。
けれども乾正が果てて休息している折に、ふと背を向けたままの杷采に軍略についての問いを投げると、
杷采は理路整然とそれに答える。
そこには激しく交わって疲労困憊のはずの女の姿はなく、涼やかな昼の顔があるのみだ。
それを目の当たりにする時、乾正は今までの彼女の全てが演技だったのではという疑心に駆られる。
改めて見れば、杷采の底の知れなさは尋常ではない。
まず彼女は、物を食べるという事への執着がまるでないようだった。
無論、乾正に付き合って食べる事はする。しかしそれ以外で、彼女が個人的な食事を摂る姿は見かけたことがない。
また、澄まし顔が歪む姿を見たいという悪戯心から、彼女が飲む茶に強烈な腹下しを混ぜた事もある。
しかしその後に何時間軍議を重ねようとも、彼女は席を外すことはおろか、顔を顰める事すらしなかった。
それ以外にも、杷采がやや離れた部屋で話をしている姿を見かけた数秒の後、彼女自身に背後から声を掛けられた事もある。
まるで、数十間という長さの廊下を一瞬の内に移動したかのごとく。
それらを目撃するうちに、乾正は彼女のことを、白昼から目にする幽霊の類ではと思うことすらあった。
あるいは、彼女が問うたびに答えるように、仙人のようなものなのか。
しかし、夜になって彼女を抱くたび、乾正はそれを否定したくなる。
抱きしめれば吸い付くような柔らかな肉肌は、幽霊のものではあるはずがない。
仙人なる存在が、乾正の愛撫で昂ぶった折に、若干の生臭さを感じさせる吐息を吐くはずがない。
あれは人間なのだ。それで間違いないはずなのだ。
ではなぜ、彼女に関する数々の不可解さが解消しない。
乾正は幾度となくそう苦悶し、時には杷采自身にもその疑いを打ち明けた。
杷采はそのたびに、正体を追求してくれるな、自分を所有物と割り切って“使えば”いいと答える。
それは、初めに庚の王が告げた言葉と同じだった。
乾正は生来負けず嫌いだった事もあり、人から与えられるその結論で良しとはしない。
何とかして杷采という人間の底を見ようと、思いつく先から様々な奉仕を行わせた。
この時代においてはまだ不浄の行為として忌み嫌われていた、口で逸物を舐めしゃぶらせる事もさせた。
しかし杷采は一切嫌な顔をする事もなく、喉の奥深くまで無理矢理に咥えさせられても奉仕を続けた。
杷采とて、声を出す喉構造をもった一人の人間だ。
喉奥を逸物で抉られれば、嘔吐を思わせるような呻き声が漏れる。涎も次々に溢れ出てくる。
しかしながら、屈する様子はまるでない。事が終われば、顔をつるりと拭って涼しい表情に戻る。
「一晩中、俺の尻穴だけを舐ってろ」
乾正は自分が命じられては困ることと考え、このように告げもした。
しかしやはりこの場合も、杷采は粛々と言葉に従う。
寝台の上に寝そべった乾正の足の間に屈み込み、舌先のみでもって延々と尻穴を嘗め回す。
細い指で尻肉を分けながら、尻穴に吸い付き、嘗め回し、舌を入れ、啜り上げる。
「ああ、お……うう!……ぁあ…………ああ、お…………うう…………」
それは乾正自身が思っていたよりも、遥かに心地のいい事だった。
彼は完全にされるがままになりながら、その刻一刻と高まる未知の快感に声を漏らす。
そうして一晩どころか一時間と経たない内に、勃起した怒張を痙攣させ、白濁を三度、四度と噴き出して果ててしまった。
乾正が相手をするやり方では翻弄されるばかりと悟り、杷采を膝立ちで拘束したまま、女官三人に責めさせた事もある。
赦しを請わせる事ができれば金子をやる、と言い含められているため、女達は必死に杷采の細身を責め上げる。
耳元で何事かを口々に罵り、乳首を指で挟み潰し、秘裂に指を入れて水音も高らかにかき回す。
しかし、隣室で酒を喰らって一眠りした乾正が翌朝部屋に入ると、杷采は疲れきった女官の中心で平然としていた。
乳房は女の無数の手形で赤らみ、膝立ちになった秘裂からは夥しい愛液が溢れて床に滴っている。
床には様々な太さの張り型や芋茎が転がっており、女達が総力を挙げて責め立てていた名残が残っている。
それでも杷采は折れていなかった。
「この私がお仕えするのは、『あなただけ』です。乾正様」
静かな瞳でそう告げる杷采。
その言葉を聞いて、乾正はひとつ新たな責めを思いついた。それで本当に最後にしようと考えていた。
しかし何の因果か、最後と決めたその責めこそが唯一、杷采に激しい動揺をもたらす事となるのだった。
乾正には、同じ庚の国の将に仲間がいる。名を軒句(けんく)という。
乾正と軒句とは、仕官し始めた時期も近ければ、宛がわれた屋敷も隣同士。
軒句とその副官が揃って屋敷から出てくる姿を、乾正は幾度か目にしていたし、その逆も然りだ。
軒句もまた、彼の副官に関して疑いを抱えているらしく、それゆえに乾正の企みには易々と乗った。
企みとはすなわち、互いの副官を入れ替えて交わること。
お互いにたっぷりと酒を入れた後、目隠しをして一旦放置する。
そして部屋を出た主が再び帰ってきたと見せかけて、そこに現れるのは隣の屋敷の主だという寸法だ。
勿論、あらかじめ門番や使用人には話を通しておき、無用な混乱は避ける。
兵は拙速を尊ぶとばかりに、二人はこの計画を話し合ったその日の晩、お互いの副官に酒を入れた。
「さて、今日は目隠しをするぞ。視覚を遮る事で、感覚が鋭敏になると聞く」
乾正はそう言いながら、杷采の目に細長い布を巻きつけ、後頭部で結び合わせた。
さらに、暴れる事を予想してその手首を後ろで結わえもする。
こうした事は、夜の営みに飽きが来ないよう、杷采自らが薦める事でもあった。
その辺り、彼女は乾正という武将の征服欲の強さをよく理解していたといえる。
準備を整えた後、乾正は障子を開け放って隣の屋敷を見やった。
軒句の屋敷とはさほど離れておらず、その気になれば屋根伝いに飛び移れるほどの距離しかない。
ゆえに、軒句の家で行われている夜の営みの声が、一息ついている乾正達に聴こえる事もしばしばあった。
開け放った障子の向こうには、窓越しに軒句の臥所の様子が伺える。
そちらでも副官を後ろ手に縛り上げており、乾正に向けて準備万端という合図を送っている所だった。
二人の男は小便がしたくなったと言って部屋を抜け出し、互いの門の前でほくそ笑む。
いつもの相手と交わると思っておいて、全く別の男に抱かれるとなれば、これは仙人を名乗る彼女らとて取り乱すだろう。
今までの彼女らの余裕は、あくまでその主人が相手だと解っていればこその物であったに違いない。
そう確信めいたものを感じ、かつこれが上手くいかなかったとしても、どのみち最後の悪戯だと腹を決めて屋敷へ入る。
見慣れない屋敷を通り、見慣れない部屋に入り、見慣れない女の裸体を前にする。
そしてその白い腰を掴み、エラの張った逸物の先を柔肉へと押し当てた。
「いっ、いやぁあああああああっ!」
その叫びは、乾正の部屋から沸き起こった。
見れば、後ろ手に縛られた杷采が身を捩りながら、軒句から逃れようとしている。
挿入された瞬間に替え玉に気づいたらしい。
軒句の体格は乾正よりも数周り大きく、巨人とも言うべき恰幅の良さだ。
はっきりと見た事はないが、逸物も乾正のものより立派だろうと予想された。
それゆえすぐに解ったのだろうか。
「誰です、おまえは!!おまえは一体、誰ですっ!!ああ、乾正様、……乾正様っっ!!!!」
そう叫びながら床を這いまわり、しかし軒句の剛力に引き寄せられる。
そしてその様子は、乾正の場合も同じだった。
乾正は、あらかじめ軒句から副官の尻穴を念入りに調教している話を聞いていた為に、
興味本位でその尻穴に挿入していた。
膣とはまた違う、怒張の根元を食いちぎるかのような締め付けが面白く、夢中になって抜き差しを繰り返す。
しかしその腕の下では、子供のように胸から何からが平坦な身体が暴れまわっている。
「やめてぇっ、おやめくださいっ!!わ、わたしの全ては、軒句様の為のもの!
軒句様以外の方と交わっては………………っ!!」
何という忠誠心だろう。
主人でない者の逸物に貫かれて狂乱する副官を見ながら、乾正は思った。
そして同時に、今自分が抱いている女が、あの杷采に比べて何と物足りなく思える事か。
単に尻穴と膣の違いというだけではない。身体のサイズ、成熟度、肌触り、汗の匂い。それら全てが違う。
まるで杷采とは、自分にとって理想の女性が体現したものではないか。そう思える。
そしてそれは、軒句とて同じようだった。
しかしそう気づいた二人が逸物を抜こうとした、その瞬間。
彼が今の今まで触れていた女体が、急にその質量を失っていく。
まるで濃厚な霞が四散していくように、手足を柔らかに通り抜けていく。
「…………っ!?な、何だこれは……お、おい!!」
二人の主は、思わず遠くにいる自らの従者を見やった。
そしてそのいずれもが白い霞になって消えていくのを見たとき、彼らは涙を流していた。
――――乾正様
淡々とした、低く落ち着いた男の声が呼びかけてくる。
――――乾正様……。
鈴を揺らすような、甘く澄み切った女の声も呼びかけてくる。
そしてそれを最後に、毎夜の如く耳にしていた声は二度と聴こえなくなった。
「杷采!杷采、どこだ!!戯れはもう良い、姿を現せ、杷采!!」
すでに霞の欠片も見えない部屋の中、乾正は叫ぶ。
一度姿を見失っても、また不意に後ろからでも声を掛けてくるかもしれない。そう希望を持った。
しかしどれだけ待とうとも、声を掛けられる事はない。
彼自身の部屋へ戻り、確かに杷采が身を横たえていたはずの布団を手にしても、
その温もりはおろか匂いまでもが綺麗に消え去っていた。
彼らはこの時、ようやくにして気がついた。
自分達がどれほど意味の無いことに執着を燃やしていたのかに。
自分の正体に興味を持つな、ただ道具として使っていればいいと言われた意味に。
二人の主は、愛していた女性の名残さえ残っていない部屋の中で、男泣きに泣いた。
後に、この乾正・軒句は名を改めながら、庚の領土拡大にめざましい貢献をする。
情を置き捨て、盤上の駒を動かすが如く冷徹に戦局を動かすその様は、広く他国に恐れられた。
しかし妙な事に、稀代の覇者として名を馳せる彼らは、どちらも生涯一人しか副官を置かず、伴侶と結ばれる事もついに無かったという。
終
続きを読む