※またしてもメシを喰らうだけのお話。
私は趣味を問われれば、登山だと答える。
しかし、一般的にイメージされるようなアクティブなものではない。
ごく低い山の中腹まで歩き、森林浴を愉しむ程度。
最近はお気に入りのロッジもある。
そのロッジは、私のようなにわか登山者の溜まり場だった。
食事の提供はあるが、材料は客持ちなのが特徴的だ。
訪れた人間達が何かしらの具材を持ち寄り、ロッジの主がそれを調理して場の人間に振舞う。
どのような具材が入るのか解らないため、闇鍋のような楽しさがある。
とはいえ、幾度も痛い目を見た常連ほど、保守に走ってしまいがちなのだが。
私は今週末もそのロッジへと足を向ける。弘前の友人が送ってくれたイカを携えて。
私もまた、無難な方に走ってしまう常連の1人だった。
※
扉を開けると、途端にカレーの匂いが鼻をつく。
このロッジでカレーが作られることは多い。
たとえどれほどバランスの悪い具材が揃っても、カレールゥを溶かしたスープにぶち込みさえすれば、
最低でも『カレーもどき』になるからだ。
ただ、カレーとて万能ではない。山で食うカレーは美味いが、ビールの相方としては不十分だ。
「おう、待ってたぜ!」
「遅かったな。何ぞ新しいツマミでもくれやァ」
顔なじみ達が私を振り仰ぎ、口々に言う。
彼らの前にあるテーブルには、宴の残滓があった。
くい散らかされ、欠片しか残っていないチーズ。ルゥのこびりついた皿。焼き鳥の串……。
私がクーラーボックスからイカを取り出すと、その倦怠感溢れる空気が一新される。
「おお、良いモン持って来やがって!」
「イカだ、イカ!!」
赤ら顔の親父達が騒ぎはじめる中、私はイカをロッジの主に手渡した。
無口で無愛想な主は、しかしかすかに笑みを見せたような気がする。
ロッジで供される料理は、一切の金を取らない代わりに、彼の賄いも兼ねているのだ。
持参したイカが調理されている間に、私は奥まった席に腰を下ろした。
目の前に皿と、いくつか氷の入ったコップ、そしてビール瓶が回されてくる。
ビールの種類は『ビア・ラオ』、俗に言うラオスビールだ。
ロッジ主の趣味なのか、小屋内にはこれとスーパードライしか常備されていない。
私はビア・ラオの栓を開け、コップへと注いだ。
常温で放置されたビールを、氷入りのコップに注ぐ。この原産地ラオスに則った飲み方にも、ずいぶん馴染んだものだ。
たっぷりの泡を壊さないよう気をつけて注ぐ。
そしてその後、乾いた喉へと一気に流し込む。
えもいわれぬ爽やかさが私の中を通り抜けた。キンキンに冷えている訳ではないのに、十分に涼やかだ。
口当たりが軽いビア・ラオの特性がまた良い。
甘い泡に続き、すっきりとした苦味が食欲をそそる。
途端に腹の根が鳴りはじめ、私はツマミを探した。
とはいえ、やはりめぼしい物はない。
楕円形の陶器皿に盛られた、ルゥばかりのカレー。
その横には深さのあるガラス皿があり、その中に沢山のシジミが入っていた。
それぞれ塩味と唐辛子で味付けしてある。『ビア・ラオ』と同じく、東南アジアで見られる小料理だ。
これが山のように残っている理由はハッキリしている。喰いづらいのだ。
僅かな中身を食べるために、いちいち殻を歯で割って取り出さなければならない。
それは面倒で、よほど腹が減っている時ぐらいしかやらない。
私は仕方なくシジミに手を出した。
唐辛子の塗されたひとつを口に放り込み、奥歯で殻を割る。
そして舌で殻を口の外に追いやりながら、中の身を咀嚼する。
運よくスムーズにいった。悪い時だと殻が細かく砕け、吐き出すのに苦労する。
しかし苦労の甲斐あり、この唐辛子で味付けされたシジミはビールに非常によく合う。
特に『ビア・ラオ』のような軽い口当たりのビールとは相性が絶妙だ。
その美味さが空き腹に染み渡り、面倒さを乗り越えて次のひとつへと私を突き動かす。
次は塩のかかったひとつ。
魚介類の塩との相性は反則的だと、私は常々思っている。
濃厚な磯の香りを漂わせながら、塩を塗されて荒々しく煎られたこの小さな貝もそうだ。
高級料理などでは断じてない。それでいながら、舌の上を満たすこの美味さは何事なのだ。
これが世界有数の料理でない事が信じられない。
僅か数秒でありながら、私の味蕾と脳はそのような至福に彩られた。
貝をこじ開ける作業に飽きれば、小皿に取り分けたカレーを匙で掬って舐める。
冷めた事で、ほどよく香辛料の馴染んだ家庭的なカレーだ。
中にはカレーにはあまり見られない具材もあるが、特別に味の邪魔をしているわけでもない。
これを供に酒を呑み続けるのはつらいが、一品料理としてならけして悪くない。
風味付けにセロリなぞへかけて喰らうのも、また一興だ。
そうこうして時間を潰している間に、キッチンの方からいい匂いが漂ってくる。
イカの炙られる、香ばしいあれだ。
多少腹ごしらえをしているとはいえ、再度私の腹が鳴り始めた。
やがて、待ち焦がれたものが大皿に乗ってやってくる。場に歓喜の叫びが湧いた。
湯気の立つそれを小皿に移し、早速一口喰らう。
美味い。期待にしっかりと応える、新鮮なゲソの香ばしさ。
私は思わず頬を緩めた。
ゲソの細切りにはモヤシが合わされ、そのモヤシに巻きつくような葉は、高菜だろうか。そしてそれらを、唐辛子がピシリと引き締めている。
庶民的な具材ばかりながら、風味は充分だ。この飾らない味わいが、また淡白なビールとよく合う。
夢中で食べるうちにあっという間に皿は空になり、そこにはダシの色をしたスープが残った。
皿を傾けてそれを啜れば、塩コショウの香りが私の鼻腔を通り抜けた。
一拍遅れてダシの風味が口に広がる。
なるほど、イカのエキスが染み出したダシそのものも良い。
私は二皿目のゲソ炒めを上機嫌につまみながら、場の男たちとビールを酌み交わす。
泡を壊さないようにだけ注意し、次々にコップへ注いで。
ゲソ炒めに飽きれば、冷えてやや固くなったまろやかなカレーを喰らう。
それにも飽きればシジミの中身を穿り返し、そのうちやがてゲソ炒めが恋しくなる。
至福の時間だ。
私は異国情緒のある海の幸を堪能しながら、ただただ幸せに酔っていった。
週明けにはまた多忙な日々が待っているだろう。
だが今だけは、急ぐ事はない。
終
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私は趣味を問われれば、登山だと答える。
しかし、一般的にイメージされるようなアクティブなものではない。
ごく低い山の中腹まで歩き、森林浴を愉しむ程度。
最近はお気に入りのロッジもある。
そのロッジは、私のようなにわか登山者の溜まり場だった。
食事の提供はあるが、材料は客持ちなのが特徴的だ。
訪れた人間達が何かしらの具材を持ち寄り、ロッジの主がそれを調理して場の人間に振舞う。
どのような具材が入るのか解らないため、闇鍋のような楽しさがある。
とはいえ、幾度も痛い目を見た常連ほど、保守に走ってしまいがちなのだが。
私は今週末もそのロッジへと足を向ける。弘前の友人が送ってくれたイカを携えて。
私もまた、無難な方に走ってしまう常連の1人だった。
※
扉を開けると、途端にカレーの匂いが鼻をつく。
このロッジでカレーが作られることは多い。
たとえどれほどバランスの悪い具材が揃っても、カレールゥを溶かしたスープにぶち込みさえすれば、
最低でも『カレーもどき』になるからだ。
ただ、カレーとて万能ではない。山で食うカレーは美味いが、ビールの相方としては不十分だ。
「おう、待ってたぜ!」
「遅かったな。何ぞ新しいツマミでもくれやァ」
顔なじみ達が私を振り仰ぎ、口々に言う。
彼らの前にあるテーブルには、宴の残滓があった。
くい散らかされ、欠片しか残っていないチーズ。ルゥのこびりついた皿。焼き鳥の串……。
私がクーラーボックスからイカを取り出すと、その倦怠感溢れる空気が一新される。
「おお、良いモン持って来やがって!」
「イカだ、イカ!!」
赤ら顔の親父達が騒ぎはじめる中、私はイカをロッジの主に手渡した。
無口で無愛想な主は、しかしかすかに笑みを見せたような気がする。
ロッジで供される料理は、一切の金を取らない代わりに、彼の賄いも兼ねているのだ。
持参したイカが調理されている間に、私は奥まった席に腰を下ろした。
目の前に皿と、いくつか氷の入ったコップ、そしてビール瓶が回されてくる。
ビールの種類は『ビア・ラオ』、俗に言うラオスビールだ。
ロッジ主の趣味なのか、小屋内にはこれとスーパードライしか常備されていない。
私はビア・ラオの栓を開け、コップへと注いだ。
常温で放置されたビールを、氷入りのコップに注ぐ。この原産地ラオスに則った飲み方にも、ずいぶん馴染んだものだ。
たっぷりの泡を壊さないよう気をつけて注ぐ。
そしてその後、乾いた喉へと一気に流し込む。
えもいわれぬ爽やかさが私の中を通り抜けた。キンキンに冷えている訳ではないのに、十分に涼やかだ。
口当たりが軽いビア・ラオの特性がまた良い。
甘い泡に続き、すっきりとした苦味が食欲をそそる。
途端に腹の根が鳴りはじめ、私はツマミを探した。
とはいえ、やはりめぼしい物はない。
楕円形の陶器皿に盛られた、ルゥばかりのカレー。
その横には深さのあるガラス皿があり、その中に沢山のシジミが入っていた。
それぞれ塩味と唐辛子で味付けしてある。『ビア・ラオ』と同じく、東南アジアで見られる小料理だ。
これが山のように残っている理由はハッキリしている。喰いづらいのだ。
僅かな中身を食べるために、いちいち殻を歯で割って取り出さなければならない。
それは面倒で、よほど腹が減っている時ぐらいしかやらない。
私は仕方なくシジミに手を出した。
唐辛子の塗されたひとつを口に放り込み、奥歯で殻を割る。
そして舌で殻を口の外に追いやりながら、中の身を咀嚼する。
運よくスムーズにいった。悪い時だと殻が細かく砕け、吐き出すのに苦労する。
しかし苦労の甲斐あり、この唐辛子で味付けされたシジミはビールに非常によく合う。
特に『ビア・ラオ』のような軽い口当たりのビールとは相性が絶妙だ。
その美味さが空き腹に染み渡り、面倒さを乗り越えて次のひとつへと私を突き動かす。
次は塩のかかったひとつ。
魚介類の塩との相性は反則的だと、私は常々思っている。
濃厚な磯の香りを漂わせながら、塩を塗されて荒々しく煎られたこの小さな貝もそうだ。
高級料理などでは断じてない。それでいながら、舌の上を満たすこの美味さは何事なのだ。
これが世界有数の料理でない事が信じられない。
僅か数秒でありながら、私の味蕾と脳はそのような至福に彩られた。
貝をこじ開ける作業に飽きれば、小皿に取り分けたカレーを匙で掬って舐める。
冷めた事で、ほどよく香辛料の馴染んだ家庭的なカレーだ。
中にはカレーにはあまり見られない具材もあるが、特別に味の邪魔をしているわけでもない。
これを供に酒を呑み続けるのはつらいが、一品料理としてならけして悪くない。
風味付けにセロリなぞへかけて喰らうのも、また一興だ。
そうこうして時間を潰している間に、キッチンの方からいい匂いが漂ってくる。
イカの炙られる、香ばしいあれだ。
多少腹ごしらえをしているとはいえ、再度私の腹が鳴り始めた。
やがて、待ち焦がれたものが大皿に乗ってやってくる。場に歓喜の叫びが湧いた。
湯気の立つそれを小皿に移し、早速一口喰らう。
美味い。期待にしっかりと応える、新鮮なゲソの香ばしさ。
私は思わず頬を緩めた。
ゲソの細切りにはモヤシが合わされ、そのモヤシに巻きつくような葉は、高菜だろうか。そしてそれらを、唐辛子がピシリと引き締めている。
庶民的な具材ばかりながら、風味は充分だ。この飾らない味わいが、また淡白なビールとよく合う。
夢中で食べるうちにあっという間に皿は空になり、そこにはダシの色をしたスープが残った。
皿を傾けてそれを啜れば、塩コショウの香りが私の鼻腔を通り抜けた。
一拍遅れてダシの風味が口に広がる。
なるほど、イカのエキスが染み出したダシそのものも良い。
私は二皿目のゲソ炒めを上機嫌につまみながら、場の男たちとビールを酌み交わす。
泡を壊さないようにだけ注意し、次々にコップへ注いで。
ゲソ炒めに飽きれば、冷えてやや固くなったまろやかなカレーを喰らう。
それにも飽きればシジミの中身を穿り返し、そのうちやがてゲソ炒めが恋しくなる。
至福の時間だ。
私は異国情緒のある海の幸を堪能しながら、ただただ幸せに酔っていった。
週明けにはまた多忙な日々が待っているだろう。
だが今だけは、急ぐ事はない。
終
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