※NTR連載小説、二話。今回もエロなし。少しずつ恋愛を積み上げていっています
「ソースケお前、女できたのか?」
案の定、週明けの学校で英児はそう言ってきた。
僕からの着信で女の子の声が聴こえてきたんだから、当然といえば当然の反応だ。
「そうじゃないよ。あれはちょっと、知り合った女の人が間違っただけで……」
僕は正直に答える。
彼女扱いなんてとんでもない。僕が彼女……鵜久森さんに一方的な好意を抱いているだけなんだから
でも英児は、その僕の答えに愉快そうな笑みを浮かべる。
「ンな事言って実は、俺の知らねぇとこでイチャついてたんだろ? どこまでいったんだよ、オラ白状しろ!!」
僕の首に腕を回して、絞めるフリをする英児。廊下を通りかかった女子が笑う。
普段通りの日常。でもそれが違って思えるのは、僕自身の心境が変わったせいだろうか。
また鵜久森さんの所に遊びに行こう。
そう思えば、要領の悪さからよく怒鳴られるコンビニでのバイトさえ、それほど苦には感じなかった。
東京から2時間という電車代は、高校生の身にはけして安くない。
それでも僕は必死にバイトをこなし、何とか旅費を捻出しては、芳葉谷に足を運んだ。
※
夏になったら忙しくなる。
鵜久森さんのその言葉通り、2度目に訪れた6月中旬は、まさに繁忙期という風だった。
閑古鳥の鳴いていたあの甘味処が一転、家族連れや老夫婦でごった返している。
10分ほど時間を潰してようやく、1人分の席に滑り込めるという具合だ。
「はぁっ」
着席と同時に溜め息が漏れた。
木という木でセミがうるさく鳴き、照りつける太陽は何もかもを真っ白に染めていて、喉はもうカラカラだ。
「おわいなはんしょ。よぐ来らったなし」
ふと、聞き覚えのある声が降ってきた。見上げると、割烹着に身を包んだ女の子がいる。
ピンクと薄茶色のちょうど間のような、健康的な肌色。くるくるとした瞳。
鵜久森さんだ。
以前は肩に遊んでいた黒髪が、三角巾から少しはみ出る2つ結びになっていて、これがまたとてつもなく可愛い。
「ご注文は?」
メニューを片手に、にっこりと笑って告げる鵜久森さん。
その笑顔は変に整いすぎていて、明らかに営業スマイルといった風だ。
僕はその笑顔を見た瞬間、ああ、そうかと理解した。彼女にとって僕は、あくまで客の一人に過ぎないんだ。
毎日何十人もの相手をする商売で、一人一人の顔をすべて覚えている筈がない。僕のように凡庸な人間なら尚更だ。
一ヶ月前に少し話をした程度で、特別な一人になれた気でいた僕がバカだったんだ。
「団子セットを……下さい」
僕はせめて気落ちを悟られまいと、なるべくはっきりした口調で注文する。
「あいよ~!」
そう朗らかに返事をして、店の奥へ消える鵜久森さん。僕はその後姿を見送った。
これが彼女の見納めだ。数多の客の一人として通うには、この町は遠すぎる。
淡い恋だった。でも、これで終わり。まったく僕らしい最後じゃないか。
そんな事を考えるうち、涙が出そうになる。僕は無意識に唇を噛んで涙を堪えた。
どうしてだろう。泣きたいなら泣けばいいじゃないか。
僕はいつもこうだ。いつも他人の目ばかり気にして、素直な感情を表に出せない。
悪い感情を溜めれば、その分だけ心が濁っていくと知っているのに。
「はぁっ……」
二度目の溜め息。さっきと違って、今度は深刻だ。
せっかく見えたオアシスが、ただの蜃気楼だったと気付いての溜め息なんだから。
僕がいよいよ沈痛な気持ちになった、その時だ。
カン、という音で、僕のテーブルに白い皿が置かれる。草餅とみたらしの団子セット。
前に見た時と同じく、扇風機の風に煽られて美味しそうな湯気が靡いている。
そうだ、これだけは僕を裏切らない。はるばるこの団子を食べに来たと思って、高い電車賃にも納得しよう。
そう思いながら皿に注意を向けると、何だろう、何か違和感がある。
みたらし団子の餡……それが変に飛び散って、文字のようになっている。
1文字目は、『ひ』だ。
2文字目は間違いなく『さ』、3文字目は多分『し』。
残る2つは、『ぶ』と、――『り』。
ひ さ し ぶ り ………… ?
僕は、はっとして再び上を見上げた。
そこには、口の端を吊り上げた、あの屈託のない笑顔がある。
「なじょした?」
ピンクの唇が動いて、音が発された直後。僕の瞳から涙が伝い落ちる。
何だよ、こういう時は我慢するんじゃなかったのか、僕は。
隣にいたおばあちゃんが変に心配して、ハンカチなんて渡してきたじゃないか。
だから嫌なんだ。他人に変に気を遣わせるぐらいなら、僕の中だけにしまいこんでおきたい。
ああ。でも、見知らぬおばあちゃんのこのハンカチは、やけに触り心地がいい。
とても…………気持ちがいい。
昼時を過ぎて人が減り、ようやく人心地ついたという感じの店内。
僕と鵜久森さんは、一ヶ月前と同じように縁側に掛けて茶を啜っていた。
鵜久森さんはさっきから何も話さず、ただニヤニヤと僕の顔を眺めている。
さすがに何なんだ、と言ってみようと思った矢先、ついに鵜久森さんが口を開く。
「さっきは、余所余所しいなーって思ったっぺ?」
まさに核心。僕はギクリとする。
「え、そんな」
「ウソ、顔に書いてあっだ。解ぇやすいなぁ壮介は!」
けらけらと笑う鵜久森さん。しかもさらっと呼び捨てだ。彼女がそこまで踏み込んでくるなら、僕だって。
「そういえば、鵜久森さんって……何歳なんですか?」
女性に年齢を聞くのがタブーとは知っている。でもそれは、ある程度歳がいっている人の場合だ。
この間制服を着ていた鵜久森さん相手に、恐れる必要はない。多分。
「歳? 17だけんじょ?」
ビンゴ。まさかの同い年だ。
「えっ……僕もです」
そう答えると、鵜久森さんは目を輝かせて、まじに、と叫んだ。
「やけに嬉しそうですね」
「はぁー、そりゃあ! まさが都会育ちの同じ年なんで!!」
あまりにも嬉しそうな鵜久森さんを見ていると、僕まで気分が昂ぶってくる。
「ふふ。そういえばそうですね」
「あ。だったら壮介。これからは敬語禁止!」
鵜久森さんは突然、僕に指を突きつけて宣言した。
「……へ?」
「タメ口でいいべ。同い年に敬語なんてされっと、変に気ぃ遣っちまうべ」
「え、えーっと……う、うん」
気を遣う。確かにその通りだ。
敬語からタメ口に切り替えるタイミングをいつも迷う僕だけど、相手が良いというなら断る理由もない。
むしろ、これでぐっと距離が近くなったようで、とても嬉しい。
思わず僕が笑うと、鵜久森さんも輝かんばかりの笑顔をくれた。
「おお、おお、仲がええこっだ」
お爺さんが店の奥から、野菜の入った籠を持って現れる。
野菜籠は、僕と鵜久森さんの座る縁側の椅子へ、白いタオルを敷いた上で乗せられた。
「裏の畑で採れたばっかの野菜だ。遠慮のぅ、おわいなんしょ」
塩の瓶を僕に渡しながら、にこにこと告げるお爺さん。
籠の中の野菜は、形こそ変わっているけれど、どれも色が濃くて美味しそうだ。
実際に齧ってみると、ほのかに甘くて、味にぼやけた所がない。どれもこれも塩だけで十分だ。
こんな野菜をタダで食べられるなんて、都会じゃありえない。
コリリと音を立てて胡瓜を齧りながら、同時に僕は、これでもかという程の幸せを噛みしめる。
それから僕と鵜久森さんは、また何時間か話をした。
前と違うのは、お互いにつっかえながらだという点。
僕は、可愛い女の子と間近で話すとなると、どうしても緊張して敬語が出てしまう。
鵜久森さんは、少しずつではあるけれども、共通語で話そうとする。
その結果のギクシャクだ。
特に鵜久森さんは、僕との会話を通して必死に共通語を学ぼうとしているらしかった。
とにかく顔が近い。
ふと気がつくと、鵜久森さんのくるりとした瞳が僕のすぐ鼻先にまで迫ってきていて、心臓が飛び出しそうになる。
鼻先にかかる鵜久森さんの息は、何故だかほのかに甘く感じた。
受け入れられている。僕という存在が、ちゃんと認められている。
そう判ってからは、電車に揺られる2時間あまりさえ苦にはならなくなった。
3度目に訪れたのは6月最後の週。
季節はもう完全に夏で、圧倒的な質感を持つ入道雲が、駅舎から出た僕を出迎える。
まだ10時前という事もあって、甘味処の客はまばらだった。
僕が姿を現した瞬間、お爺さんは笑いながら裏の畑を指し示す。
どうやら、僕の目当てが鵜久森さんである事はバレているらしい。
忠告通り甘味処の裏に周ると、やはり鵜久森さんはそこにいた。
頭に手拭いを巻きつけ、ジーンズ生地のようなオーバーオールの下に赤いシャツを身につけている。
腰には蚊取り線香がつけ、足元は長靴で、いかにも農作業スタイルという風だ。
「んーー……!」
雑草取りだろうか。彼女は腰を屈め、唸りながら地面から長い草を引き抜こうとしている。
オーバーオール越しにも判る、プリッとしたお尻が魅力的だ。
こうして改めて見ると、鵜久森さんは結構スタイルがいい。
胸やお尻という出るべきところは平均以上に出ているし、一方で腰は細い。
腕は都会でたむろしている女子高生よりは少し太い気もするけど、それでも十分華奢といえる細さで……。
僕がそんな風に見とれていると、急に鵜久森さんの身体が揺れた。
「ひゃっ!!」
草を勢いよく抜きすぎたのか、大いに尻餅をつく鵜久森さん。
「だ、大丈夫?」
僕は心配になって彼女に駆け寄った。爛々と輝く瞳が上を向き、僕を映しだす。
「あー、壮介!」
赤く日に焼けた頬を緩め、鵜久森さんは叫ぶ。もう何度思ったか解らないけど、可愛い。
こんな子から親しげに呼び捨てされる日が来るなんて、数ヶ月前の僕ならまず信じないだろう。
鵜久森さんは僕の手を借りて立ち上がると、頭に巻いていた手拭いを取り去った。
現れるのは、湯上りのような黒髪と、額のしとどな汗。健康的なエロスというのか、見ているだけで妙にアソコに響く。
それに鵜久森さん、前に見た時よりも少し髪が伸びたんじゃないだろうか。
僕は長い黒髪が好きだから、それだけで余計にときめいてしまう。
「ふー、今日はまだ暑ぃねぇ」
鵜久森さんは言いながら、赤いシャツで首元を扇いだ。
ちらりと覗く白い胸元に、思春期真っ盛りである僕の視線は釘付けになる。
しばしの凝視。思わず生唾を呑んだその瞬間、薄く開いた鵜久森さんの視線がこっちを向いた。
疑問符の浮くような顔が僕を見つめる。
どうやら僕の邪な心には気付いてないみたいだ。でも、そうと決まった訳でもない。
「結構、派手なシャツだね」
僕は、さり気なく視線の先をずらして言った。見ていたのはあくまで赤いシャツなんだぞ、と誤魔化すために。
すると鵜久森さんは首元を扇ぐのをやめ、視線を下げてシャツの色を確かめる。
「この服なら黄色系のシャツの方がめごいけんど、明るい色は虫がすこだま寄ってくんだ。
赤だったらそうでもねぇし、万が一森の中でぶっかえってても、じっき誰か見っけでくれっから」
「ああ、目立つもんね」
「ん。こう暑ぃと、いづ熱中症でぶっかえっか解らんで。
あたしは若ぇがらまだ平気だげんじょ、じんちゃなんがはもう歳だがら、心配で任せらんねぇんだ」
そういう鵜久森さんは、どこか寂しげに見えた。
確かに、お爺さんばかりに重労働を押し付ける訳にもいかないだろう。となれば、鵜久森さんの背負う負担も小さくはない。
彼女だってまだ僕と同じ、遊び盛りの高校生だっていうのに。
「僕も、手伝おうか?」
気付けば僕はそう言っていた。いや、言わずにはいられなかった、というのが本当のところだ。
僕のその言葉を聞いて、鵜久森さんは文字通り目を丸くする。
「え!? え、良ぇ、良ぇよ、んな心配すねぇで!
こんなの慣れてっし、もしどうにもなんねくなっだら、近くのちびでも引っ張って来っから!」
「そ、そっか」
大慌てで手を振りながらそう言われては、僕もそれ以上は言えない。
確かに変なことを言った。
軽い気持ちで発言したつもりはない。でも東京に住む高校生に過ぎない僕が、何を手伝うっていうんだ。
中途半端に手を出すなんて、本気でやっている人の迷惑になるに決まってるじゃないか。
まただ。僕はまた、ズレた事をしてる。
「…………ね、壮介」
後悔の只中にいる僕は、その声にビクッと肩を震わせた。
恐る恐る顔を上げると、そこには僕の想定とは真逆の、聖母のような笑顔がある。
「壮介って、本当に優しいね。都会の人は心が冷たいって聞いてたけど、壮介を見てると、そんな事ないって解るよ」
鵜久森さんはそう言った。いつになく自然な標準語で。
彼女は僕と会っていない間も、密かに標準語の勉強を続けていたんだろうか。
「ああー、一度東京っちゃ行ってみでぇなぁ!」
一変して素の方言を出しながら、鵜久森さんは表情を緩める。
東京に行ってみたい。前も聞いた言葉だ。
僕はチャンスだと思った。畑仕事の手伝いはできなくても、上京の案内くらいなら僕にもできる。
いや、多分、今ここにいる僕にしかできない。
「なら、東京に遊びに来る? 案内するよ」
僕が意を決して誘うと、鵜久森さんは虚を突かれたように目を瞬かせる。
「え?」
何を言ってるんだろう。一瞬そんな表情を見せ、直後、その瞳が解りやすいほどに輝きだす。
「あ…………う、うん、うんっ!! しばらくは忙しいから、都合さえつけば!」
僕はその喜びようを嬉しく思いながら、自分の住所を紙に書いて彼女に渡した。
鵜久森さんは携帯もスマートフォンも持っていない。固定電話もどうやら店との共用だ。
だから僕と彼女が個人的な連絡を取り合うには、手紙しかない。
「これが僕の住所だから。都合がついたら……いや、何もなくてもいいよ。また連絡ちょうだい」
「あ、ありがとなし。近いうちきっと、手紙出すがら!」
興奮冷めやらぬ様子で住所の紙を握り締める鵜久森さん。
感情をストレートに外に出す彼女は、僕にとって相変わらず眩しく、そしてひどく愛おしい。
彼女という訳でもないのに、少し不遜な考えかもしれない。
でも今の僕には、それしか彼女への想いを表現できる言葉がなかった。
続く
「ソースケお前、女できたのか?」
案の定、週明けの学校で英児はそう言ってきた。
僕からの着信で女の子の声が聴こえてきたんだから、当然といえば当然の反応だ。
「そうじゃないよ。あれはちょっと、知り合った女の人が間違っただけで……」
僕は正直に答える。
彼女扱いなんてとんでもない。僕が彼女……鵜久森さんに一方的な好意を抱いているだけなんだから
でも英児は、その僕の答えに愉快そうな笑みを浮かべる。
「ンな事言って実は、俺の知らねぇとこでイチャついてたんだろ? どこまでいったんだよ、オラ白状しろ!!」
僕の首に腕を回して、絞めるフリをする英児。廊下を通りかかった女子が笑う。
普段通りの日常。でもそれが違って思えるのは、僕自身の心境が変わったせいだろうか。
また鵜久森さんの所に遊びに行こう。
そう思えば、要領の悪さからよく怒鳴られるコンビニでのバイトさえ、それほど苦には感じなかった。
東京から2時間という電車代は、高校生の身にはけして安くない。
それでも僕は必死にバイトをこなし、何とか旅費を捻出しては、芳葉谷に足を運んだ。
※
夏になったら忙しくなる。
鵜久森さんのその言葉通り、2度目に訪れた6月中旬は、まさに繁忙期という風だった。
閑古鳥の鳴いていたあの甘味処が一転、家族連れや老夫婦でごった返している。
10分ほど時間を潰してようやく、1人分の席に滑り込めるという具合だ。
「はぁっ」
着席と同時に溜め息が漏れた。
木という木でセミがうるさく鳴き、照りつける太陽は何もかもを真っ白に染めていて、喉はもうカラカラだ。
「おわいなはんしょ。よぐ来らったなし」
ふと、聞き覚えのある声が降ってきた。見上げると、割烹着に身を包んだ女の子がいる。
ピンクと薄茶色のちょうど間のような、健康的な肌色。くるくるとした瞳。
鵜久森さんだ。
以前は肩に遊んでいた黒髪が、三角巾から少しはみ出る2つ結びになっていて、これがまたとてつもなく可愛い。
「ご注文は?」
メニューを片手に、にっこりと笑って告げる鵜久森さん。
その笑顔は変に整いすぎていて、明らかに営業スマイルといった風だ。
僕はその笑顔を見た瞬間、ああ、そうかと理解した。彼女にとって僕は、あくまで客の一人に過ぎないんだ。
毎日何十人もの相手をする商売で、一人一人の顔をすべて覚えている筈がない。僕のように凡庸な人間なら尚更だ。
一ヶ月前に少し話をした程度で、特別な一人になれた気でいた僕がバカだったんだ。
「団子セットを……下さい」
僕はせめて気落ちを悟られまいと、なるべくはっきりした口調で注文する。
「あいよ~!」
そう朗らかに返事をして、店の奥へ消える鵜久森さん。僕はその後姿を見送った。
これが彼女の見納めだ。数多の客の一人として通うには、この町は遠すぎる。
淡い恋だった。でも、これで終わり。まったく僕らしい最後じゃないか。
そんな事を考えるうち、涙が出そうになる。僕は無意識に唇を噛んで涙を堪えた。
どうしてだろう。泣きたいなら泣けばいいじゃないか。
僕はいつもこうだ。いつも他人の目ばかり気にして、素直な感情を表に出せない。
悪い感情を溜めれば、その分だけ心が濁っていくと知っているのに。
「はぁっ……」
二度目の溜め息。さっきと違って、今度は深刻だ。
せっかく見えたオアシスが、ただの蜃気楼だったと気付いての溜め息なんだから。
僕がいよいよ沈痛な気持ちになった、その時だ。
カン、という音で、僕のテーブルに白い皿が置かれる。草餅とみたらしの団子セット。
前に見た時と同じく、扇風機の風に煽られて美味しそうな湯気が靡いている。
そうだ、これだけは僕を裏切らない。はるばるこの団子を食べに来たと思って、高い電車賃にも納得しよう。
そう思いながら皿に注意を向けると、何だろう、何か違和感がある。
みたらし団子の餡……それが変に飛び散って、文字のようになっている。
1文字目は、『ひ』だ。
2文字目は間違いなく『さ』、3文字目は多分『し』。
残る2つは、『ぶ』と、――『り』。
ひ さ し ぶ り ………… ?
僕は、はっとして再び上を見上げた。
そこには、口の端を吊り上げた、あの屈託のない笑顔がある。
「なじょした?」
ピンクの唇が動いて、音が発された直後。僕の瞳から涙が伝い落ちる。
何だよ、こういう時は我慢するんじゃなかったのか、僕は。
隣にいたおばあちゃんが変に心配して、ハンカチなんて渡してきたじゃないか。
だから嫌なんだ。他人に変に気を遣わせるぐらいなら、僕の中だけにしまいこんでおきたい。
ああ。でも、見知らぬおばあちゃんのこのハンカチは、やけに触り心地がいい。
とても…………気持ちがいい。
昼時を過ぎて人が減り、ようやく人心地ついたという感じの店内。
僕と鵜久森さんは、一ヶ月前と同じように縁側に掛けて茶を啜っていた。
鵜久森さんはさっきから何も話さず、ただニヤニヤと僕の顔を眺めている。
さすがに何なんだ、と言ってみようと思った矢先、ついに鵜久森さんが口を開く。
「さっきは、余所余所しいなーって思ったっぺ?」
まさに核心。僕はギクリとする。
「え、そんな」
「ウソ、顔に書いてあっだ。解ぇやすいなぁ壮介は!」
けらけらと笑う鵜久森さん。しかもさらっと呼び捨てだ。彼女がそこまで踏み込んでくるなら、僕だって。
「そういえば、鵜久森さんって……何歳なんですか?」
女性に年齢を聞くのがタブーとは知っている。でもそれは、ある程度歳がいっている人の場合だ。
この間制服を着ていた鵜久森さん相手に、恐れる必要はない。多分。
「歳? 17だけんじょ?」
ビンゴ。まさかの同い年だ。
「えっ……僕もです」
そう答えると、鵜久森さんは目を輝かせて、まじに、と叫んだ。
「やけに嬉しそうですね」
「はぁー、そりゃあ! まさが都会育ちの同じ年なんで!!」
あまりにも嬉しそうな鵜久森さんを見ていると、僕まで気分が昂ぶってくる。
「ふふ。そういえばそうですね」
「あ。だったら壮介。これからは敬語禁止!」
鵜久森さんは突然、僕に指を突きつけて宣言した。
「……へ?」
「タメ口でいいべ。同い年に敬語なんてされっと、変に気ぃ遣っちまうべ」
「え、えーっと……う、うん」
気を遣う。確かにその通りだ。
敬語からタメ口に切り替えるタイミングをいつも迷う僕だけど、相手が良いというなら断る理由もない。
むしろ、これでぐっと距離が近くなったようで、とても嬉しい。
思わず僕が笑うと、鵜久森さんも輝かんばかりの笑顔をくれた。
「おお、おお、仲がええこっだ」
お爺さんが店の奥から、野菜の入った籠を持って現れる。
野菜籠は、僕と鵜久森さんの座る縁側の椅子へ、白いタオルを敷いた上で乗せられた。
「裏の畑で採れたばっかの野菜だ。遠慮のぅ、おわいなんしょ」
塩の瓶を僕に渡しながら、にこにこと告げるお爺さん。
籠の中の野菜は、形こそ変わっているけれど、どれも色が濃くて美味しそうだ。
実際に齧ってみると、ほのかに甘くて、味にぼやけた所がない。どれもこれも塩だけで十分だ。
こんな野菜をタダで食べられるなんて、都会じゃありえない。
コリリと音を立てて胡瓜を齧りながら、同時に僕は、これでもかという程の幸せを噛みしめる。
それから僕と鵜久森さんは、また何時間か話をした。
前と違うのは、お互いにつっかえながらだという点。
僕は、可愛い女の子と間近で話すとなると、どうしても緊張して敬語が出てしまう。
鵜久森さんは、少しずつではあるけれども、共通語で話そうとする。
その結果のギクシャクだ。
特に鵜久森さんは、僕との会話を通して必死に共通語を学ぼうとしているらしかった。
とにかく顔が近い。
ふと気がつくと、鵜久森さんのくるりとした瞳が僕のすぐ鼻先にまで迫ってきていて、心臓が飛び出しそうになる。
鼻先にかかる鵜久森さんの息は、何故だかほのかに甘く感じた。
受け入れられている。僕という存在が、ちゃんと認められている。
そう判ってからは、電車に揺られる2時間あまりさえ苦にはならなくなった。
3度目に訪れたのは6月最後の週。
季節はもう完全に夏で、圧倒的な質感を持つ入道雲が、駅舎から出た僕を出迎える。
まだ10時前という事もあって、甘味処の客はまばらだった。
僕が姿を現した瞬間、お爺さんは笑いながら裏の畑を指し示す。
どうやら、僕の目当てが鵜久森さんである事はバレているらしい。
忠告通り甘味処の裏に周ると、やはり鵜久森さんはそこにいた。
頭に手拭いを巻きつけ、ジーンズ生地のようなオーバーオールの下に赤いシャツを身につけている。
腰には蚊取り線香がつけ、足元は長靴で、いかにも農作業スタイルという風だ。
「んーー……!」
雑草取りだろうか。彼女は腰を屈め、唸りながら地面から長い草を引き抜こうとしている。
オーバーオール越しにも判る、プリッとしたお尻が魅力的だ。
こうして改めて見ると、鵜久森さんは結構スタイルがいい。
胸やお尻という出るべきところは平均以上に出ているし、一方で腰は細い。
腕は都会でたむろしている女子高生よりは少し太い気もするけど、それでも十分華奢といえる細さで……。
僕がそんな風に見とれていると、急に鵜久森さんの身体が揺れた。
「ひゃっ!!」
草を勢いよく抜きすぎたのか、大いに尻餅をつく鵜久森さん。
「だ、大丈夫?」
僕は心配になって彼女に駆け寄った。爛々と輝く瞳が上を向き、僕を映しだす。
「あー、壮介!」
赤く日に焼けた頬を緩め、鵜久森さんは叫ぶ。もう何度思ったか解らないけど、可愛い。
こんな子から親しげに呼び捨てされる日が来るなんて、数ヶ月前の僕ならまず信じないだろう。
鵜久森さんは僕の手を借りて立ち上がると、頭に巻いていた手拭いを取り去った。
現れるのは、湯上りのような黒髪と、額のしとどな汗。健康的なエロスというのか、見ているだけで妙にアソコに響く。
それに鵜久森さん、前に見た時よりも少し髪が伸びたんじゃないだろうか。
僕は長い黒髪が好きだから、それだけで余計にときめいてしまう。
「ふー、今日はまだ暑ぃねぇ」
鵜久森さんは言いながら、赤いシャツで首元を扇いだ。
ちらりと覗く白い胸元に、思春期真っ盛りである僕の視線は釘付けになる。
しばしの凝視。思わず生唾を呑んだその瞬間、薄く開いた鵜久森さんの視線がこっちを向いた。
疑問符の浮くような顔が僕を見つめる。
どうやら僕の邪な心には気付いてないみたいだ。でも、そうと決まった訳でもない。
「結構、派手なシャツだね」
僕は、さり気なく視線の先をずらして言った。見ていたのはあくまで赤いシャツなんだぞ、と誤魔化すために。
すると鵜久森さんは首元を扇ぐのをやめ、視線を下げてシャツの色を確かめる。
「この服なら黄色系のシャツの方がめごいけんど、明るい色は虫がすこだま寄ってくんだ。
赤だったらそうでもねぇし、万が一森の中でぶっかえってても、じっき誰か見っけでくれっから」
「ああ、目立つもんね」
「ん。こう暑ぃと、いづ熱中症でぶっかえっか解らんで。
あたしは若ぇがらまだ平気だげんじょ、じんちゃなんがはもう歳だがら、心配で任せらんねぇんだ」
そういう鵜久森さんは、どこか寂しげに見えた。
確かに、お爺さんばかりに重労働を押し付ける訳にもいかないだろう。となれば、鵜久森さんの背負う負担も小さくはない。
彼女だってまだ僕と同じ、遊び盛りの高校生だっていうのに。
「僕も、手伝おうか?」
気付けば僕はそう言っていた。いや、言わずにはいられなかった、というのが本当のところだ。
僕のその言葉を聞いて、鵜久森さんは文字通り目を丸くする。
「え!? え、良ぇ、良ぇよ、んな心配すねぇで!
こんなの慣れてっし、もしどうにもなんねくなっだら、近くのちびでも引っ張って来っから!」
「そ、そっか」
大慌てで手を振りながらそう言われては、僕もそれ以上は言えない。
確かに変なことを言った。
軽い気持ちで発言したつもりはない。でも東京に住む高校生に過ぎない僕が、何を手伝うっていうんだ。
中途半端に手を出すなんて、本気でやっている人の迷惑になるに決まってるじゃないか。
まただ。僕はまた、ズレた事をしてる。
「…………ね、壮介」
後悔の只中にいる僕は、その声にビクッと肩を震わせた。
恐る恐る顔を上げると、そこには僕の想定とは真逆の、聖母のような笑顔がある。
「壮介って、本当に優しいね。都会の人は心が冷たいって聞いてたけど、壮介を見てると、そんな事ないって解るよ」
鵜久森さんはそう言った。いつになく自然な標準語で。
彼女は僕と会っていない間も、密かに標準語の勉強を続けていたんだろうか。
「ああー、一度東京っちゃ行ってみでぇなぁ!」
一変して素の方言を出しながら、鵜久森さんは表情を緩める。
東京に行ってみたい。前も聞いた言葉だ。
僕はチャンスだと思った。畑仕事の手伝いはできなくても、上京の案内くらいなら僕にもできる。
いや、多分、今ここにいる僕にしかできない。
「なら、東京に遊びに来る? 案内するよ」
僕が意を決して誘うと、鵜久森さんは虚を突かれたように目を瞬かせる。
「え?」
何を言ってるんだろう。一瞬そんな表情を見せ、直後、その瞳が解りやすいほどに輝きだす。
「あ…………う、うん、うんっ!! しばらくは忙しいから、都合さえつけば!」
僕はその喜びようを嬉しく思いながら、自分の住所を紙に書いて彼女に渡した。
鵜久森さんは携帯もスマートフォンも持っていない。固定電話もどうやら店との共用だ。
だから僕と彼女が個人的な連絡を取り合うには、手紙しかない。
「これが僕の住所だから。都合がついたら……いや、何もなくてもいいよ。また連絡ちょうだい」
「あ、ありがとなし。近いうちきっと、手紙出すがら!」
興奮冷めやらぬ様子で住所の紙を握り締める鵜久森さん。
感情をストレートに外に出す彼女は、僕にとって相変わらず眩しく、そしてひどく愛おしい。
彼女という訳でもないのに、少し不遜な考えかもしれない。
でも今の僕には、それしか彼女への想いを表現できる言葉がなかった。
続く