※初Hシーンアリ。エロはややあっさり気味。
高校も3年になると、就職組以外は大学受験一色になる。
英児は最難関私立へのスポーツ推薦がほぼ確定しているらしい。
僕が狙うのは、その2ランク下。とはいえ僕の学力じゃ、一年間必死に勉強しないと受かりっこないレベルだ。
当然、芳葉谷に行く機会は極端に減った。
だからといって、和紗との繋がりが切れた訳じゃない。
遊びに行けない代わりに、文通は週一度のペースで続けていた。
『遠くから、合格を祈ってるからね』
その言葉がありがたい。彼女に応援されているんだと思えば、自然と勉強にも身が入る。
たまに同封されている元気一杯な近況報告も、いい息抜きになった。
ただ、全部が全部気楽な報告だった訳でもない。
『最近、爺ちゃんがボケ始めてる。』
ある日の手紙にはそうあった。
前後の文脈は冗談めかしたものだったけど、なぜかその一文が気にかかる。
そういえばお爺さんも、もういい年だもんな。もし本当に痴呆が始まってるなら、和紗も大変だろうな。
勉強の合間に、ついそんな事を考えてしまう。
だからといって様子を見にはいけない。
寸暇を惜しんで勉強しなければならない状況で、往復4時間は遠すぎる。
それに、受験を意識しだしてからはバイトも辞めていたから、金銭的な意味でも苦しい。
結局僕が真偽を確かめに行けたのは、それから1年近くも後。
かろうじて合格をもぎ取った、という報告ついでの事だった。
ほんの1年見なかっただけなのに、芳葉谷の風景はひどく懐かしい。
昭和じみた町をしばし行くと、田んぼの中に見覚えのある子供達の姿が見えた。
「あ! あんちゃー!!」
彼らも僕に気付いて、泥だらけの足で駆け寄ってくる。
本当に足が早くて、3つ瞬きする間に四方を取り囲まれてしまう。
「あんちゃ、ゴウカクしたか!?」
開口一番にそう訊かれた。どうやら和紗は、こんな小さな子達にも触れ回っていたらしい。
「うん。おかげさまでね」
僕がそう答えた瞬間、子供達は一斉に目を輝かせ、満面の笑みで僕の腰を叩いてくる。
「やっだなぁ、あんちゃー!!」
「わっしら和姉ぇに言われて、毎日皆でお祈りしてたんだべ!?」
ある子は自分の事のようにはしゃぎ回り、ある子はポケットから学業お守りらしきものを覗かせ。
純真な彼らに運ばれるようにして、僕は甘味処に辿り着く。
「お、久し振りじゃの。よう来さった」
お爺さんは、僕を見るなり表情を綻ばせた。
「あんちゃ、でーがく受がったって!」
僕を押している子供の1人が言うと、お爺さんは一瞬驚いた表情をし、その後はさっき以上に笑い皺を深くする。
「おお、おお、そりゃあ良がったのぉ! 大したもんはねぇが、お祝いじゃ」
そう言って店の奥に姿を消すと、淹れたてのお茶や、色々なお菓子を載せた盆を出してくれる。
まるで、本当のおじいちゃんみたいに。
「すみません、わざわざ。頂きます」
感謝の気持ちを込めて、盆に載った草団子を手に取る。
噛むと、相変わらず本当に柔らかい。そして、団子も上の餡も、今までで一番美味しく感じる。
久し振りだから、だろうか?
お爺さんは子供達にも団子をやりながら、ゆっくりと縁側に腰を下ろす。
先入観があるせいだろうか。見た目も動き方も、前に見た時よりめっきり老け込んだようだ。
――『最近、爺ちゃんがボケ始めてる。』
和紗の手紙に書かれた一文が脳裏を過ぎる。
「しかし、本当に合格するとはの。あの子が聞いたら喜びそうじゃ。
なんせ、近頃は毎日のように北の寺さ参って、一生懸命祈ってたんだがら」
お爺さんは笑いながら言った。
芳葉谷に4つある寺のうち、北の一つが学業成就の寺……そう和紗から聞いた覚えがある。
南の寺にほど近いここからは、一番遠くにある寺だ。
そんな場所に毎日通ってくれるなんて、何だか背中がむず痒くなってくる。
「そういえば、彼女はどこですか?」
何気なく僕が訊くと、おじいさんは大きく首を傾げた。
「ん? そういえば、出てこんのぉ。…………おーい和紗や、壮介君さ来たべよーー!! おーーい!!」
おじいさんが何度叫んでも、返事はない。
壁の震えるような大声なんだから、聴こえていないはずはないのに。
「まったく、何をやっとるんじゃ……」
やがて痺れを切らしたお爺さんは、草履を履きなおして店に入っていく。
そして、そこから数分。
変化のない状況に飽きた子供達が、僕に手を振って皆居なくなった頃。
さすがに不安になり、おじいさんの後を追おうかと思い始めた頃。
ようやくお爺さんが姿を現した。なぜか、バツが悪そうに毛の薄い頭を掻きながら。
「やぁ悪い悪い、すっかり忘れとったわ。あの子は今、ワシの代わりに山菜採りに出てくれとるんじゃ」
その言葉に、僕はホッとする。事件があった訳じゃなくて何よりだ。
でも、同時に別の心配事が杞憂では済まなくなった。
お爺さんがボケ始めている。どうやら、こっちは事実らしい。
縁側に戻ってから、お爺さんは最近の和紗の様子を聞かせてくれた。
僕の想像通り、和紗は手紙を書く間、緊張しっぱなしだったみたいだ。
まず手紙を書くと宣言してから1時間以上、腕組みをしたまま家中を歩き回る。
この間、お爺さんが落ち着けといくら声を掛けても耳に入らない。
そしていざ机に向かえば、目を見開いたまま顔を強張らせ、背筋をピンと伸ばして一心不乱に書き進める。
たっぷり2時間ほどかけて書き終えると、正座で足が痺れたと言って畳の上を転がる。
毎回これの繰り返しなんだそうだ。
お爺さんはそんな孫娘の様子を、思い出し笑いを挟みつつ楽しそうに語る。
でも、何故なんだろう。時々その目が、寂しそうな色を見せるのは。
「…………あん子は、壮介君の事さ大好ぎみでぇだ。
元々人見知りなんぞする子じゃ無がったが、そんじも男に対しては、妙に身持ちの固ぇとこさあったんだべ。
だげんじょ、あんちゃにだけはそうならなんだ」
色々な男の中で、僕だけが特別に和紗から好かれているらしい。
ありがたい話だ。夢じゃないかってぐらい、嬉しい。
お爺さんから、何かを訴えるような眼光を向けられていなかったら、もっと素直に喜べるのに。
「壮介君。」
お爺さんは、重々しい声で言う。
いつも柔和な笑みを浮かべている人と、同じ人物とは思えない。
「は、はい!」
思わず背筋を伸ばして返事をする。
「ワシはな、壮介君。じきに店を畳もうかと思うとる」
「えっ!?」
突然の宣言に、僕は驚くしかない。そんな僕をよそに、お爺さんは続けた。
「ワシも、もうすっかり耄碌しての。よう判らん事が多ぅなった。
自分が今何しでだかも判らん。歩き慣れた道が、急に知らん道に思える事もある。
壮介君が初めてこん店に来た時、店さ開けとったじゃろう。
あれもな、すぐそこの山道で迷って、よう帰れんようになっとったんじゃ」
淡々としたお爺さんの語りに、僕は絶句する。
『ボケ始めている』どころじゃなく、本当に危ないじゃないか。
そうか。だから和紗は今、お爺さんに代わって山菜採りに出かけてるんだ。
それを察してお爺さんも、店を畳むことを決意したんだろう。
お互いがお互いを思っての行動なんだ。部外者の僕に挟む口はない。
ただ、お爺さんがわざわざこの話を僕にした事には意味がある。
そしてその意図に、僕は薄々勘付いていた。
「店ぇ畳んで親戚の家さ厄介になる話は、もう随分前からしとった。
じゃが、和紗の身の置き場が決まらんでな。
あん子は良ぇ子じゃ。両親を事故で亡くして以来、ワシの店を健気に手伝い続けてくれとる。
和紗だけは幸せにしてやりたい。
どうじゃろう、壮介君。あん子を、一緒に東京さ連れて行ってやってくれんか。
畑仕事やら料理やらは一通りできる子じゃ、都会でも何かしらの働き口はあるじゃろう。
今までは都会へ1人放り出すのが心配じゃったが、壮介君となら安心じゃ。
…………頼む。どうか孫の面倒さ、見てやってくなんしょ!!」
お爺さんは哀願しつつ、薄くなった頭をフェルトに擦りつけた。
そんな事をされなくたって、とっくに僕の心は決まっている。
いずれは僕の方こそ、『娘さんを下さい』とお爺さんに頭を下げるつもりだったんだから。
「任せてください。僕が必ず、和紗さんを守ります。
幸せにします!」
僕はお爺さんを前に、できるだけ強く言い切った。
大袈裟な言葉だとは思わない。これは、僕の本心だ。
※
こうして僕らは、東京で新生活を送る事になった。
大学入学を期に実家を出た僕は、大学近くのアパートに。和紗はその近くのマンションに。
最初は同棲しようかとも考えたけど、恥ずかしくて言い出せなかった。
お互いの着替えやお風呂上りの姿を日常的に目にするなんて、僕らにはまだ早いように思えたんだ。
今にして思えば、さすがに奥手すぎたけれど。
新生活を始めたばかりの頃は、お互いひたすらに忙しかった。
僕は昼に大学へ通いつつ、学費と生活費を稼ぐべく、受験で一時辞めていたコンビニバイトを再開する。
和紗も、近くの居酒屋でバイトを始めた。
僕らの街には、とにかく居酒屋が多い。
駅近くに巨大な問屋街があるせいで年間を通して人通りが多く、その客を絡めとるかのように、高架下から居酒屋の網が広がっている。
和紗が働き始めたのは、そんな居酒屋のメインストリートから少し離れた、小さな店だ。
決め手は主人である佐野さんの人柄だった。
少し気が弱そうではあるものの、いかにも人が良さそう。和紗は、僕の数十年後みたいって笑ってたっけ。
できれば僕もそこで一緒にバイトしたかったけど、小さな店だから1人雇うのが精一杯らしく、泣く泣く断念した。
新しい生活は、忙しいながらも楽しい。
僕は英児のいない大学でなんとか友達を作り、付き合い始めた。
高校の頃の僕なら、そんな勇気もなかっただろう。でも今は、少し自分に自信が持てている。
眼鏡をコンタクトに替え、美容院へ通うようになって以来、見た目のウケもそう悪くない。
もっともこれは、和紗と並んで歩いていても恥ずかしくないように、とした事なんだけど。
和紗の方は、店の看板娘として、週6日くらいで働いていた。
何しろ可愛くてスタイルがいいから、和紗狙いの客もそこそこ増えているらしい。
お爺さんの言う通り『人見知りしない』和紗は、酔った客からたまにセクハラを受けても、それを冗談っぽくイジり返して場を盛り上げていた。
田舎の出だけあって、明け透けなオヤジの扱いには慣れている。和紗はそう鼻を高くしていた。
そんな生活を続けているうち、また夏がやってくる。
和紗と初めて会ったのも暑い日だった。
それから2年後。僕らは、ようやく本当の意味でお互いを知ることになる。
何日も前から、その日の予定は決まっていた。昼はプール、夜は浴衣を着ての花火大会。
2人でプールに行くのは初めてだから、嫌でも興奮してしまう。
和紗の、水着姿……。
気温が上がるにつれて和紗も薄着が多くなり、そのスタイルの良さを改めて感じていたところだ。
まず、なんといっても胸が大きい。
英字のプリントされたシャツを着ると、胸元の文字だけが歪んでしまうぐらいに。
その一方で腰は細くて、胸の大きさを際立たせる。
胸と腰の落差でシャツに皺が寄っていたりすると、正直目のやり場に困ってしまう。
そんな彼女の水着姿は、どんなだろう。デートを翌日に控えた夜、僕は悶々としながら想像する。
そして、いざ当日。
女子更衣室から現れた実物は…………僕のどんな妄想をも超えていた。
水着はビキニタイプで、プール際で映えるエメラルド系の色だ。
トップスは首後ろで結ぶ、ホルターネックタイプの三角ビキニ。
これは、ただでさえボリュームのある胸がずっしりと強調されて、つい視線が釘付けになる。
ボトムはボトムで、骨盤の辺りにぴったり嵌まっていて、くびれた腰から太腿にかけてのラインを隠さない。
もちろん脚線も丸見えだった。
最近はあえて意識しないようにしてたけど、こうして水着姿を見せられると、もう誤魔化しが利かない。
僕が罪悪感に苛まれながらも、何度となくオカズにしてしまった脚。
田舎の垢抜けない子だったのがウソに思えるぐらい、すらっと伸びた美脚だ。
和紗がその美脚を前後させながら近づいてくるのを、僕はただ呆然と眺めていた。
誰だろう、このモデルみたいな美女は。
どうして近づいてくるんだろう。
あんまりにもじっと見すぎていたから、文句を言いにきたのかな。
そんな事を思わず考えてしまうぐらい、僕とはあまりにも不釣合いだ。
客観的に見ても、和紗は魅力的らしい。
プールサイドにいる色んな異性……よく日焼けしたサーファー風やホスト風の男、家族連れの父親、
そうした女性に耐性のありそうな人達でさえ、ほとんどが和紗を振り返って見ている。
「えへへ、お待たせ!」
その注目の的が、僕の前で笑顔を作るなんて。これは夢だ。夢に違いない。
僕は、和紗のやわらかい手が僕自身の手を握ってくる瞬間まで、ひたすらにそう考えていた。
女の子とプールで遊ぶのは初めてだ。
ビーチボールで遊んだり、ウォータースライダーをしたり、流れるプールで浮き輪に乗った彼女を引っ張ったり……。
それはとても楽しくて、常に大量の水を飲んでいるように、胸がドキドキする体験だった。
そしてふとした瞬間、つい彼女の胸に視線が吸い寄せられてしまう。
メロンが2つ並んだようなそこは、男子の目を引くのに十分すぎる。
和紗は午前中、ずっと屈託なく笑っていたけれど、その視線にはちゃんと気付いていたみたいだ。
「ねぇ、壮介。私の身体、何かついてる?」
昼のプール休憩中、ヤキソバを食べ終えた僕に和紗が言った。
くるりと向けられた背中には何もない。
うなじから胸へと降りるビキニ以外は、ただピンクに近い健康的な肌があるだけだ。
「別に。どこにも何もついてないよ」
「ホント? でも、なんか……周りからすごい視線感じるよ?
店員さんに選んでもらったんだけど、この水着って、やっぱり変なのかなぁ」
和紗はバスト付近の生地を指で弾きながら言う。
僕には、注目の理由が解っていた。
何だかんだといっても、男は豊満なバストに目を奪われてしまう生き物なんだ。
少なくともEカップはある胸がホルターネックの水着で強調されてたら、それだけで注目されるのに十分。
おまけに和紗はスタイルが良い。くびれた腰とすらっとした脚はモデル並みだ。
髪は背中まで伸ばされた艶々のロングヘアで、顔立ちもすっぴんとは思えないほど可愛い。
これだけの条件が揃っていて、見られない訳がないんだ。
でもそういう細かい理由まではあえて言わず、僕はただシンプルに答える。
「見られるのは、和紗が可愛いからだよ」
僕が笑顔でそう言うと、なぜか和紗は頬を膨らませる。
「む。真剣に聞いてるんだから、冗談やめてよ。
これだけスタイルが良くて可愛い人がいっぱい居るのに、私なんかが特別注目される訳ないでしょ。
……ねぇ、理由わかってるんなら教えてよ。カキ氷おごったげるから!」
拗ねた子供のような顔が目の前にある。
アナウンサーみたいなキレイな笑顔も魅力的だけど、僕はやっぱり、こういう自然な和紗の顔が好きだ。
この広いプール内でも、和紗の生の表情を見られるのは僕だけ。そう思うと、どうしても表情が緩んでしまう。
「うーん。本当に、可愛いからだと思うんだけど」
僕はそう言って頬を掻く。
「またぁ。そんな訳ないって!」
和紗はあくまで納得しない。
さてどうしたものか、と思った瞬間。
「や、オネーサンまじ可愛いっすよ!」
隣のテントから、高校生ぐらいに見える男達が声をかけてきた。
いかにも女子人気が高そうな、筋肉質で日焼けした3人。僕よりも明らかに英児寄りだ。
「そうそう。思わず見ちゃうぐらいカワイイっす!」
他の2人も同じ事を言って、照れたように笑いながらプールに走り出していく。
僕と和紗は、その後姿をみて呆然としていた。
今までなんとなく感じていた第三者からの評価を、はっきりと口に出された瞬間だ。
拗ねたような和紗の顔がみるみる赤くなって、俯く。
しばらくの無言。
こういう時にさっとフォローできない自分が恨めしい。
「………………本当に?」
和紗は上目遣いでそう言った。
「うん。可愛いよ、和紗は」
僕ははっきりと口に出す。すると和紗は、茹ったみたいに腰を抜かした。
そしてそのまま、照れ隠しのようにゴロンと横になる。
「ねぇ、壮介。オイル塗ってよ」
少し聞き取りづらい声。多分、組んだ腕に顔を埋めてるんだろう。
「いいよ」
僕はサンオイルのボトルを手に取る。
でもいざオイルを塗り込む段階になって、僕は息を呑んだ。
そういえば、和紗の身体をじっくりと触るのはこれが初めてだ。
手を繋いだ事はもう何度もあるけど、背中や太腿に触った事はない。
僕は固まったまま、うつ伏せになった和紗の後ろ姿を改めて見つめる。
健康的で血色のいい肌。
芳葉谷にいた頃は、ピンクよりもやや薄茶に近い肌色だったけど、こっちで暮らし始めてから白くなってきたみたいだ。
たぶん本来の彼女は、あんまり日焼けしないタイプなんだろう。
そして、変わったのは肌の色だけじゃない。
スタイルも、こっちで暮らし始めてから明らかに洗練されてきてる。
元々スタイルは良いほうだったけど、畑で雑草採りをやっていた頃は、そこまで腰がくびれてもいなかったはず。
彼女はどんどんキレイになっていく。
それは、彼女自身のため? それとももしかして、僕に見せるため?
「どうしたの?」
和紗の顔が横を向いて、不思議そうに僕を見上げる。
「あ、い、いや! 何でもないよ!」
僕は慌てて、和紗の背中にサンオイルを塗りつけた。
吸い付くようでな肌触り。でも押し込むと、柔らかいゴムみたいな反発がある。
これが、和紗の……そして、“鵜久森さん”の肌なのか。
そう思うと、それだけで僕自身が固くなってきた。もし今和紗が正面を向けば、海パンを盛り上げるものが丸見えだ。
ちょうどシートの横を通った女の子の二人連れが、僕の下半身に気付いてクスッと笑う。
その状況を誤魔化すように、僕は一心にオイルを塗りたくった。
背中から、肩。脇腹。そして太腿。
「んっ、んふっ……ちょっ、くすぐったいよぉ!!」
和紗は横顔で笑いながら身を捩る。
僕はつられて笑いながら、彼女と一緒に居られる幸せをひたすらに噛みしめた。
3時過ぎまでプールで過ごしてから、一度お互い家に帰る。
そして夜は花火大会だ。
生暖かい風の中、浴衣を着て和紗のマンションまで迎えに行く。
のんびり歩いても5分とかからない。
「はーい!」
呼び鈴を押すと、普段より1オクターブ高い余所行きの声がした。
そしてドアが開き、浴衣に身を包んだ和紗が現れる。
僕はまたしても息を呑む事になった。
髪を結って帯をつけた彼女は、昼ともまた雰囲気が違う。
甘味処で割烹着を来ていたせいだろうか、和装がやたらによく馴染んでいる。
薄い化粧のせいで、雰囲気そのものも大人っぽく変わっていた。
どうも彼女は、すごく化粧映えする顔みたいだ。
「わざわざ、ありがと」
そう言って自然に手を繋いでくる彼女は、一足早い花火みたいに眩かった。
電車の中も、それを降りてからの道も、人、人、人。
地元の小規模な花火大会とはいえ、こういう時だけは活気が凄い。
僕らははぐれないように気をつけながら、ようやく屋台の立ち並ぶ会場にまで辿り着いた。
「何が食べたい? 何でも奢るよ」
僕が訊くと、和紗はくるりとした瞳で辺りを見回す。
「えっと、じゃあ……りんご飴」
彼女はそう言って、可愛らしいお菓子を指差した。
でも、僕は見逃さない。今彼女の視線がもっと情熱的に捉えていたのは、別のもの。
例えば、『じゃがバター』や『ステーキ串』。『チヂミ』もかな。
本来彼女は、草食系な僕とは対照的に肉食系だ。
言動だけじゃなく、食べ物の好みも。
本音ではカロリーのある物に惹かれつつも、デート中の女の子として慎ましくしなくては、と思ってるんだろう。
その気持ちは正直嬉しい。でも僕は、彼女に遠慮なんてして欲しくなかった。
「そっか。じゃあ僕は…………なんだか、お腹減っちゃったな」
苦手な演技をしつつ、僕はさっき彼女が興味を示した物を買い漁る。
和紗が目を丸くしているのを横目に見ながら。
「壮介って、そんなに大食いだっけ……?」
僕がどっさりと手に抱えたパックを見て、和紗が問う。
僕はその和紗を観察した。僕を心配しつつも、時々涎を垂らしそうな感じで食べ物を見ている和紗を。
「うーん、調子に乗って買いすぎたかな。良かったら、半分こしようよ」
僕は石段に掛けながら誘う。
和紗はお尻の下に手拭いを敷きながら、隣に腰掛けた。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて貰おうかな」
そう言って柔らかな笑顔を見せる。化粧のせいで、その綺麗な笑顔はいよいよアナウンサーやスチュワーデスみたいだ。
高嶺の花も良いところ。でもすぐにその雰囲気は、いつもの彼女に戻る。
心の底から幸せそうに物を食べる様子は微笑ましい。僕は、そんな彼女の姿が大好きだ。
「美味しいね」
僕自身も、こうして食べる物の美味しさを噛みしめながら言った。
「うん」
和紗は短くそう答えてから、少し黙る。そして、
「…………壮介は、すごいね」
聴こえるかどうかの声でそう呟いた。
僕は一瞬その意味が解らず、そして理解できると、何だか照れ臭くなってしまう。
食べるものを食べると、和紗は普段の彼女に近くなった。
「よーし、やるぞー!!」
浴衣の袖を捲ってスーパーボールすくいに挑んだ彼女は、輝いていた。
早々に網を破った僕とは違い、次々にボールを救っていく。
それは他の客どころか、屋台のおじさんさえも賞賛するものだった。
それだけじゃなく、射的や輪投げでも僕じゃ相手にもならない。
田舎育ちだからか、和紗は体を使う遊び全般がものすごく上手かった。
そうして下町の姉御さながらに屋台を荒らした彼女も、いよいよ花火が始まると、また様子が変わる。
石段に腰掛けた僕へ、和紗は甘えるように寄りかかった。
肘の辺りに胸が当たっている。
空には六連の大玉が鳴り響いていて、心臓の高鳴りをいよいよ煽ってくる。
「私いま、ものすげぇ幸せだぁ……」
花火の轟音の合間に、小さくそう聴こえた。
彼女の素である方言。他の誰にも聴こえてはいないだろう。隣にいる僕にしか。
「僕もだよ」
自然と、その言葉が口をついた。
そして、どちらからともなく顔を見合わせ、そのままの流れで唇を合わせる。
ちょうど空に大きな華が咲いて、僕らの横顔を七色に染めた。
※
花火が終わった帰り道でも、僕らの火照りは止まらない。
プールでのジリジリとした日焼けが、今でも続いているみたいだ。
周りには、同じく熱を持ったようなカップルが何組もいて、肩を抱きながら脇に並ぶラブホテルへと消えていく。
僕らは、何件かのホテルを俯きながら通り過ぎた。
ホテルの前までくると、2人とも歩く速度が遅くなるから、多分考えは一緒なんだ。でも、勇気が足りない。
僕は勇気を出そう出そうと思ったけど、結局、先に切り出したのは和紗だった。
「ちょっと、歩くのに疲れちゃった。…………休憩してこ」
そう言って彼女は、すぐそばのホテルに目線を送る。
かなりお洒落な感じのホテルだ。見た目だけなら、ちゃんとしたシティホテルにも見える。
「…………そうだね。休んでいこっか」
僕はそう言いながら、自分の顔がものすごく強張っている事に気がついた。
でも、目の前の和紗の顔だって似たようなものだ。
2人してぎこちない動作でホテルに入る。
フロントの脇には、部屋の写真がずらっと並んでいた。部屋ごとに料金も設備も色々だ。
僕と和紗は、そのシステムに圧倒され、とりあえずそこそこの料金の部屋を選ぶ。
「部屋、4階の突き当たり」
愛想の欠片もないフロントの受付は、僕の顔さえ見ようとしない。
でも和紗が視界に入ると、僕と彼女を交互に仰ぎ見た。
やっぱり不釣合いなんだろうか。でも、今はそんな事は忘れよう。男としての自信を持とう。
部屋は広かった。
狭い個室のようなイメージとは全く違って、お洒落なマンションの部屋という感じだ。
洗面所にトイレ、テレビ、冷蔵庫なんかが揃っていて、十分に暮らしていけそう。
普通の家と違う所といえば、アダルトグッズの自販機と、プールのような豪華なバスタブ、そして大きなベッドぐらいか。
「うわぁー、すっごいねぇ!!」
和紗は部屋の豪華さに目を輝かせ、部屋の中を色々に見て回っていた。
好奇心旺盛なその姿は子供みたいだ。それを見ているだけで、思わず僕まで笑顔になってしまう。
でも、和紗がはしゃいでいたのも最初だけ。
横並びでベッドに座ってテレビを見ているうちに、すっかり『そういう雰囲気』になる。
「んっ、んむっ……はうっ」
キスの声が部屋に響く。
花火の時みたいな浅いキスじゃない。舌を深く入れて絡ませる、正真正銘、恋人のキス。
和紗の唾液は甘く感じた。
唇と唇で繋がりあいながら、お互いの浴衣を脱がしていく。
刻一刻と露わになっていく和紗の肌。プールでの水着焼けが妙にいやらしい。
すべて脱がしきるのを待てずに、僕は彼女への愛撫を始めた。
吸い込まれるように掴んだ乳房は、屋台で和紗に渡された水風船とよく似ている。
お湯をたっぷり入れた水風船という感じだ。
「ん、あ……っ」
でも水風船は、揉んだ時にこんな色っぽい声は出さない。
僕はその声に気をよくして、さらに彼女の身体中を知ろうとする。
身体にはシミ一つなかったけれど、ホクロはいくつかあった。
左腋の傍にあるホクロは肉眼でも見やすくて、これと大きな胸を目印にすれば、顔を見なくても彼女だと解りそうな気がする。
「…………はぁっ、ああ、んっ…………ふぁ、ああ、あっ…………!!」
僕の愛撫に対して、和紗は目を細めながら切なそうな声を漏らす。
それは、明らかにこういう刺激に慣れていない人間のする事に思えた。
ひょっとして、僕が初めての相手なんだろうか。
いや、有り得ない。こんなに魅力的な彼女が、高校を卒業するまで誰とも関係を持ってないなんて。
でも、万が一そうなら。
「もしかして、こういう事……初めて?」
僕はしばらく悩んだ末、意を決して尋ねる。
すると和紗は、やっぱり少し間を置いてから、小さく頷いた。
「う、うん……」
その答えを聞いて、僕はよっぽど驚いた顔をしたんだろう。
すぐに和紗は、顔の前で手を振る。
「あ、で、でも、する事は知ってるんだよ。
ウチみたいな田舎じゃ、田んぼの裏で近所のおじさん達がしてたりとかするんだから。
そういうの、何回か見てるから、する事は解るんだ」
「あ……そうなんだ」
「そうそう。田舎出身を舐めないでよね!」
大きな胸を張って自信満々な和紗。
でも、次に僕が何気なく漏らした一言で、その表情は一変する。
「最初は痛いって聞くけど、大丈夫なの?」
「………………え?」
虚を突かれた、という感じで固まる彼女。
僕はこの時点で、あやうい空気を感じ取ってしまった。
「いや、最初は大体、処女膜っていうのが破れて、血が出るって…………」
そう補足すると、さっと和紗の顔が青ざめていく。
「ま、膜……やぶれ………………ち、血………………??」
うわ言のように呟き、視線を宙に彷徨わせ始める。
その様子を見て、僕は決断した。このパニック状態じゃ、するのは無理だと。
「や、やっぱり今回はやめよっか。またその気になったら」
僕がそう言って和紗の身体を離そうとした瞬間。
彼女の手が僕の手を掴んだ。
「ダメ!」
「えっ……で、でも、大丈夫なの? 最初って事は、さっき言ったみたいに……」
「だから、だよ。どうせ最初はそうなっちゃうなら、壮介にしてほしい。
壮介なら、優しくしてくれそうだし…………大好きな壮介となら、我慢できそうだから」
潤んだ瞳で訴えかけてくる和紗。こんな目をされたら、断れる訳がない。
僕もこういう事は初めてで、上手くリードできるかは不安だけど、ここはもうやるしかない。
僕はそれから、もっと熱心に愛撫を続けた。
頭の中の知識を総動員して、女性が“濡れる”ように刺激する。
向かい合ったまま、乳房をひたすらに揉み上げたり。
抱きしめたまま、クリトリスを指で刺激したり。
それを続けるうちに、和紗の息はますます荒くなって、肌には汗が伝い始める。
たぶん興奮してるんだろう。
そのうち和紗の瞳はとろんとして、熱に浮かされたようになった。
「ね、して…………」
その言葉は、普段の彼女のイメージとはあまりにも遠い。改めて、今僕らがしている事の特殊性を感じてしまう。
彼女自身の許しを得て、僕はトランクスから僕自身を解放した。
すでに興奮しきって、ギンギンだ。
「…………っ!!」
和紗が目を見開く。
多分、ここまで勃起した物を間近で見るのは初めてだろう。
そして、それを今から受け入れるんだという事も理解している筈だ。
少し、彼女が可哀想になる。でも、僕は彼女を傷つける為にセックスをするんじゃない。
これは、男女がより深く愛し合うための儀式なんだ。
恥ずかしそうな和紗の太腿に手を掛けて、柔らかく開く。
ごく薄い茂みと、その下に走る綺麗なピンク色の筋が見えた。
本やネットで何度も見たけど、実物の興奮はそんな比じゃない。
特にそれが、大好きな女の子のものなら尚更だ。
僕は大きく深呼吸を繰り返す。このまま突っ走ったら、たぶん心臓が破裂してしまう。
そうして決意を固めてから、僕はローションを手に取った。
少しでも和紗の負担を減らしてくれるよう祈りを込めて、アレに塗りたくる。
これでいよいよ、準備万端だ。
自分の物を片手で掴みながら、ピンクの裂け目に宛がう。
ゴクリ、と和紗の喉を慣らす音が聴こえる。
「じゃ、じゃあ、いくよ…………。痛かったら言ってね」
僕の声は緊張で強張っていた。
「うん……。もし痛くしたら、背中引っ掻くから」
和紗はぎこちない笑みを作りながら言う。
「う……努力します」
僕はつられて苦笑した。
固くなった亀頭部分を肉ビラに割り込ませ、ゆっくりと腰を進める。
亀頭が入り込むまではスムーズで、でもそこからさらに進もうとすると、抵抗が来る。
みっしりと合わさった襞の中を、切り裂いていくような感じだ。
湿り気のある襞がアレに隙間なく纏わりついてきて、僕の方は気持ちいい。
でも、身体の内部を切り裂かれるような和紗はどうなんだろう。ついその心配をしてしまう。
「う、くく……う…………」
和紗は、眉を顰めていた。目を固く閉じて、片手でシーツを掴んでいる。
絶対に痛いんだ。注射が10秒続いたって、あそこまでの反応はきっとしない。
「大丈夫? い、痛くない?」
僕はそう囁きかけた。心配でならない。
もう僕のアレは半分くらい入っている。処女膜という物が破れていてもおかしくない頃だ。
僕の問いかけが聴こえたのか、和紗は薄く目を開く。そこには余裕なんてものは感じられない。
僕は、しまった、と思った。
ひょっとして、この問いかけさえも迷惑なぐらい余裕がないんじゃないかって。
でも和紗は、目の端に涙を湛えたまま、ゆっくりと首を振る。
痛くない、という事なのか。
「ほ、ホントに……?」
「はぁっ、はぁっ…………背中、引っ掻いてないでしょ…………。だから、痛くない。つらく、ないよ…………」
和紗は、息も絶え絶えという様子で囁き返した。
太陽のようにエネルギッシュな彼女が、ここまで疲弊するなんて。
でも実際、彼女の手は、僕の背中を優しく抱きしめているだけだった。
僕は、それに安心する。
そして同時に、僕は堪らなくなった。
和紗の中は、とんでもなく気持ちがいい。うねるように纏わりつく膣壁が、僕の爆発寸前の物を刺激してくる。
動きたい。滅茶苦茶に前後に動いて、プールサイド以来、堪りに堪った興奮を発散したい。
そんな欲望が、頭の中を刺してくる。
「う、動いてもいいかな」
僕は訊いた。もう伺いを立てるのさえ精一杯だ。
「いいよ。好きに動いて」
和紗は、僕を背中ごと抱きしめながら頷いた。
僕はそれに感謝しながら、深く腰を沈める。
高校のクラスメイトにも、大学の知り合いにも、セックスの話ばかりしている奴がいる。
僕はそれを獣みたいだと内心で嫌ってたけど、今ならその気持ちも少しはわかる。
セックスって、気持ちがいい。
他の何もかもがどうでもよくなるぐらいに。脳味噌がドロドロに解けてしまうぐらいに。
パンッ、パンッ、パンッ、と腰を打ち付ける音が繰り返されていた。
よく耳を澄ませば、それに呼応する形で、ローションの攪拌されるぬっちょぐっちょという音もしていた。
僕が、和紗のより深い部分を抉る音。彼女を緩やかに傷つける音。
けれども、至福の音。
「すき…………すきだよ、壮介。壮介と、やっと一つになれた。嬉しい、すごく!!」
和紗も涙を溢しながら、強く僕の体を求めてくれる。
この瞬間、僕らは間違いなく、今までのどの瞬間よりも深くつながり合っていた。
※
身も心も重ねあった僕らは、充実した気持ちで新しい生活を満喫した。
僕は大学とコンビニバイト、和紗は居酒屋でのバイト。
それをお互い必死にこなしつつ、たまに空いた日が重なればデートする。
そして僕は、和紗の働く居酒屋に客として顔を出すことも多かった。
あくまで、『客として』だけど。
店のアイドルである和紗と僕が恋仲なんて知れたら、余計な面倒が起こりかねない。
だからあくまで、親しい客として遊びに行く。
それも一人でだと気まずいから、大学の友人を連れての事がほとんどだ。
そして、そんな状態が続いてから数ヶ月目のある日。僕はついに、英児をその居酒屋に連れて行った。
「あっ、あの時の!!」
英児は店で働く和紗を見て、すぐに駅前通りで会った時の事を思い出した。
女の顔は忘れない、と豪語しているのは、冗談ではないのかも。
「あっ、どうも!」
和紗も驚いて、とびきりの営業スマイルで頭を下げた。
僕経由で散々話は聞いてたものの、実際に会うのはこれで2回目だ。
居酒屋の主人である佐野さんは、そんな僕らの様子をにこやかに見ていた。
「鵜久森さん、今日の仕事はもう大丈夫だからさ。
そちらのお二人さん、知り合いなんでしょ? 一緒に飲みなよ」
そう言って、瓶ビールを出してくれる。
僕と和紗の関係を知っている佐野さんは、他に客がいない時、よくこういう気遣いをしてくれた。
和紗はひたすらに恐縮していたものの、佐野さんは柔和な笑顔で、大丈夫、と繰り返す。
和紗のお爺さんもそうだったけど、まるで本当のお爺ちゃんみたいだ。
結局、僕と和紗、そして英児で、初めて酒の席を囲むことになる。
英児とは大学が分かれてからはメール連絡ばかりだったから、本当に嬉しい。
そしてこの日僕は、改めて英児の凄さを思い出す事になった。
空気を読む力が、完全に僕とは別格だ。
僕や和紗の望んだ事を、まさにドンピシャのタイミングでやってくれる事多数。
それどころか、一見何気なさそうな行動が実は重要で、数分遅れでやっと彼の行動の意味が理解できたりもする。
僕も和紗も、その手際の良さには感心しきりだった。
「や、こういう酒の席に慣れてるだけだって。慣れだよ慣れ」
本人はそう謙遜するけど、酒を飲めるようになって一年と経たずにここまで慣れるなんて、僕には無理だ。
単純な経験値だけじゃなく、それを最大限生かす頭の回転と、要領の良さ。
英児はそれを並外れて持っていて、おまけにそれを鼻に掛けない。
モテて当然だと改めて思う。同性の僕でさえ、男として惚れてしまうぐらいなんだから。
英児がいると話も弾んだ。
そしてその中で、話は間違い電話の事になる。和紗が僕の携帯を弄って、英児に電話してしまった事件だ。
思えばあの時すでに、僕ら3人の集まる運命は決まってたのかも。
そんな風に思えてしまう。
楽しい時間はすぐに過ぎて、あっという間に夜が更ける。
治安が良いともいえない飲み屋街だ。和紗がいる状態であまり遅くなってもと、飲みはお開きになる。
そして、帰り際に英児とトイレに立った時の会話が忘れられない。
「あの子、すげーいい子じゃん。大事にしろよ」
英児は赤ら顔でそう言ったあと、大きくしゃっくりをする。
そして笑う僕をしばらく眺めてから、再び口を開いた。
「なんつーか、アレだ。ホッとしたよ」
「えっ?」
言葉の意図が解らず、僕は訊き返す。英児の口の端が吊りあがった。
「こう言うのも何だけどよ。高校の頃のお前って、俺が中心のグループに寄ってくるばっかだったじゃんか」
まったくもってその通りだ。
僕の記憶にある限り、英児は常に人の輪の中心にいて、僕はお情けでその輪の中心近くに寄せてもらうだけだった。
高校までの僕のコミュニケーションはほぼすべて、そうして『経験させてもらった』ものだ。
「でも今日はその逆でよ。お前が中心になって回ってる所に、俺が呼ばれたんだぜ?
なんつーかよ……しばらく見ねぇうちに、デカくなったよなぁ、お前も」
僕の肩をポンポンと叩きながら笑う英児。
相変わらず、同い年なのに背丈も風格も違いすぎて、いくつか年上の兄みたいだ。
でも、そんな英児に褒めて貰えるのは本当に嬉しい。
「君のおかげだよ」
僕は本心でそう言った。
変わったきっかけは和紗で、そのきっかけを掴むまで僕を守ってくれたのが英児だ。どっちがいなくても、今の僕はない。
「ん? ああ……ま、そーかもな!!」
英児はそう言っておどけてみせる。
この時には僕も酔いが回っていて、世界がゆっくりと回転するようだった。
元々酒が強いほうでもないのに、気をよくして呑み過ぎたみたいだ。
ふらつく僕を、英児ががっしりと抱きとめる。
「おら、大丈夫かよ相棒? 夜道であの子を送ってやるのはお前の役目だぜ?
今は、お前の春だ。お前の時代だ!!!」
僕の肩を抱きながら、腹からの大声で宣言する英児。
その言葉を聞くうち、本当に今が僕の時代のように思えてくる。
和紗と英児――僕にとって最も大きな存在である2人から、こんなにも評価される日が来るなんて。笑いが止まらない。
この夜僕は、間違いなく幸せの絶頂にいた。
続く
高校も3年になると、就職組以外は大学受験一色になる。
英児は最難関私立へのスポーツ推薦がほぼ確定しているらしい。
僕が狙うのは、その2ランク下。とはいえ僕の学力じゃ、一年間必死に勉強しないと受かりっこないレベルだ。
当然、芳葉谷に行く機会は極端に減った。
だからといって、和紗との繋がりが切れた訳じゃない。
遊びに行けない代わりに、文通は週一度のペースで続けていた。
『遠くから、合格を祈ってるからね』
その言葉がありがたい。彼女に応援されているんだと思えば、自然と勉強にも身が入る。
たまに同封されている元気一杯な近況報告も、いい息抜きになった。
ただ、全部が全部気楽な報告だった訳でもない。
『最近、爺ちゃんがボケ始めてる。』
ある日の手紙にはそうあった。
前後の文脈は冗談めかしたものだったけど、なぜかその一文が気にかかる。
そういえばお爺さんも、もういい年だもんな。もし本当に痴呆が始まってるなら、和紗も大変だろうな。
勉強の合間に、ついそんな事を考えてしまう。
だからといって様子を見にはいけない。
寸暇を惜しんで勉強しなければならない状況で、往復4時間は遠すぎる。
それに、受験を意識しだしてからはバイトも辞めていたから、金銭的な意味でも苦しい。
結局僕が真偽を確かめに行けたのは、それから1年近くも後。
かろうじて合格をもぎ取った、という報告ついでの事だった。
ほんの1年見なかっただけなのに、芳葉谷の風景はひどく懐かしい。
昭和じみた町をしばし行くと、田んぼの中に見覚えのある子供達の姿が見えた。
「あ! あんちゃー!!」
彼らも僕に気付いて、泥だらけの足で駆け寄ってくる。
本当に足が早くて、3つ瞬きする間に四方を取り囲まれてしまう。
「あんちゃ、ゴウカクしたか!?」
開口一番にそう訊かれた。どうやら和紗は、こんな小さな子達にも触れ回っていたらしい。
「うん。おかげさまでね」
僕がそう答えた瞬間、子供達は一斉に目を輝かせ、満面の笑みで僕の腰を叩いてくる。
「やっだなぁ、あんちゃー!!」
「わっしら和姉ぇに言われて、毎日皆でお祈りしてたんだべ!?」
ある子は自分の事のようにはしゃぎ回り、ある子はポケットから学業お守りらしきものを覗かせ。
純真な彼らに運ばれるようにして、僕は甘味処に辿り着く。
「お、久し振りじゃの。よう来さった」
お爺さんは、僕を見るなり表情を綻ばせた。
「あんちゃ、でーがく受がったって!」
僕を押している子供の1人が言うと、お爺さんは一瞬驚いた表情をし、その後はさっき以上に笑い皺を深くする。
「おお、おお、そりゃあ良がったのぉ! 大したもんはねぇが、お祝いじゃ」
そう言って店の奥に姿を消すと、淹れたてのお茶や、色々なお菓子を載せた盆を出してくれる。
まるで、本当のおじいちゃんみたいに。
「すみません、わざわざ。頂きます」
感謝の気持ちを込めて、盆に載った草団子を手に取る。
噛むと、相変わらず本当に柔らかい。そして、団子も上の餡も、今までで一番美味しく感じる。
久し振りだから、だろうか?
お爺さんは子供達にも団子をやりながら、ゆっくりと縁側に腰を下ろす。
先入観があるせいだろうか。見た目も動き方も、前に見た時よりめっきり老け込んだようだ。
――『最近、爺ちゃんがボケ始めてる。』
和紗の手紙に書かれた一文が脳裏を過ぎる。
「しかし、本当に合格するとはの。あの子が聞いたら喜びそうじゃ。
なんせ、近頃は毎日のように北の寺さ参って、一生懸命祈ってたんだがら」
お爺さんは笑いながら言った。
芳葉谷に4つある寺のうち、北の一つが学業成就の寺……そう和紗から聞いた覚えがある。
南の寺にほど近いここからは、一番遠くにある寺だ。
そんな場所に毎日通ってくれるなんて、何だか背中がむず痒くなってくる。
「そういえば、彼女はどこですか?」
何気なく僕が訊くと、おじいさんは大きく首を傾げた。
「ん? そういえば、出てこんのぉ。…………おーい和紗や、壮介君さ来たべよーー!! おーーい!!」
おじいさんが何度叫んでも、返事はない。
壁の震えるような大声なんだから、聴こえていないはずはないのに。
「まったく、何をやっとるんじゃ……」
やがて痺れを切らしたお爺さんは、草履を履きなおして店に入っていく。
そして、そこから数分。
変化のない状況に飽きた子供達が、僕に手を振って皆居なくなった頃。
さすがに不安になり、おじいさんの後を追おうかと思い始めた頃。
ようやくお爺さんが姿を現した。なぜか、バツが悪そうに毛の薄い頭を掻きながら。
「やぁ悪い悪い、すっかり忘れとったわ。あの子は今、ワシの代わりに山菜採りに出てくれとるんじゃ」
その言葉に、僕はホッとする。事件があった訳じゃなくて何よりだ。
でも、同時に別の心配事が杞憂では済まなくなった。
お爺さんがボケ始めている。どうやら、こっちは事実らしい。
縁側に戻ってから、お爺さんは最近の和紗の様子を聞かせてくれた。
僕の想像通り、和紗は手紙を書く間、緊張しっぱなしだったみたいだ。
まず手紙を書くと宣言してから1時間以上、腕組みをしたまま家中を歩き回る。
この間、お爺さんが落ち着けといくら声を掛けても耳に入らない。
そしていざ机に向かえば、目を見開いたまま顔を強張らせ、背筋をピンと伸ばして一心不乱に書き進める。
たっぷり2時間ほどかけて書き終えると、正座で足が痺れたと言って畳の上を転がる。
毎回これの繰り返しなんだそうだ。
お爺さんはそんな孫娘の様子を、思い出し笑いを挟みつつ楽しそうに語る。
でも、何故なんだろう。時々その目が、寂しそうな色を見せるのは。
「…………あん子は、壮介君の事さ大好ぎみでぇだ。
元々人見知りなんぞする子じゃ無がったが、そんじも男に対しては、妙に身持ちの固ぇとこさあったんだべ。
だげんじょ、あんちゃにだけはそうならなんだ」
色々な男の中で、僕だけが特別に和紗から好かれているらしい。
ありがたい話だ。夢じゃないかってぐらい、嬉しい。
お爺さんから、何かを訴えるような眼光を向けられていなかったら、もっと素直に喜べるのに。
「壮介君。」
お爺さんは、重々しい声で言う。
いつも柔和な笑みを浮かべている人と、同じ人物とは思えない。
「は、はい!」
思わず背筋を伸ばして返事をする。
「ワシはな、壮介君。じきに店を畳もうかと思うとる」
「えっ!?」
突然の宣言に、僕は驚くしかない。そんな僕をよそに、お爺さんは続けた。
「ワシも、もうすっかり耄碌しての。よう判らん事が多ぅなった。
自分が今何しでだかも判らん。歩き慣れた道が、急に知らん道に思える事もある。
壮介君が初めてこん店に来た時、店さ開けとったじゃろう。
あれもな、すぐそこの山道で迷って、よう帰れんようになっとったんじゃ」
淡々としたお爺さんの語りに、僕は絶句する。
『ボケ始めている』どころじゃなく、本当に危ないじゃないか。
そうか。だから和紗は今、お爺さんに代わって山菜採りに出かけてるんだ。
それを察してお爺さんも、店を畳むことを決意したんだろう。
お互いがお互いを思っての行動なんだ。部外者の僕に挟む口はない。
ただ、お爺さんがわざわざこの話を僕にした事には意味がある。
そしてその意図に、僕は薄々勘付いていた。
「店ぇ畳んで親戚の家さ厄介になる話は、もう随分前からしとった。
じゃが、和紗の身の置き場が決まらんでな。
あん子は良ぇ子じゃ。両親を事故で亡くして以来、ワシの店を健気に手伝い続けてくれとる。
和紗だけは幸せにしてやりたい。
どうじゃろう、壮介君。あん子を、一緒に東京さ連れて行ってやってくれんか。
畑仕事やら料理やらは一通りできる子じゃ、都会でも何かしらの働き口はあるじゃろう。
今までは都会へ1人放り出すのが心配じゃったが、壮介君となら安心じゃ。
…………頼む。どうか孫の面倒さ、見てやってくなんしょ!!」
お爺さんは哀願しつつ、薄くなった頭をフェルトに擦りつけた。
そんな事をされなくたって、とっくに僕の心は決まっている。
いずれは僕の方こそ、『娘さんを下さい』とお爺さんに頭を下げるつもりだったんだから。
「任せてください。僕が必ず、和紗さんを守ります。
幸せにします!」
僕はお爺さんを前に、できるだけ強く言い切った。
大袈裟な言葉だとは思わない。これは、僕の本心だ。
※
こうして僕らは、東京で新生活を送る事になった。
大学入学を期に実家を出た僕は、大学近くのアパートに。和紗はその近くのマンションに。
最初は同棲しようかとも考えたけど、恥ずかしくて言い出せなかった。
お互いの着替えやお風呂上りの姿を日常的に目にするなんて、僕らにはまだ早いように思えたんだ。
今にして思えば、さすがに奥手すぎたけれど。
新生活を始めたばかりの頃は、お互いひたすらに忙しかった。
僕は昼に大学へ通いつつ、学費と生活費を稼ぐべく、受験で一時辞めていたコンビニバイトを再開する。
和紗も、近くの居酒屋でバイトを始めた。
僕らの街には、とにかく居酒屋が多い。
駅近くに巨大な問屋街があるせいで年間を通して人通りが多く、その客を絡めとるかのように、高架下から居酒屋の網が広がっている。
和紗が働き始めたのは、そんな居酒屋のメインストリートから少し離れた、小さな店だ。
決め手は主人である佐野さんの人柄だった。
少し気が弱そうではあるものの、いかにも人が良さそう。和紗は、僕の数十年後みたいって笑ってたっけ。
できれば僕もそこで一緒にバイトしたかったけど、小さな店だから1人雇うのが精一杯らしく、泣く泣く断念した。
新しい生活は、忙しいながらも楽しい。
僕は英児のいない大学でなんとか友達を作り、付き合い始めた。
高校の頃の僕なら、そんな勇気もなかっただろう。でも今は、少し自分に自信が持てている。
眼鏡をコンタクトに替え、美容院へ通うようになって以来、見た目のウケもそう悪くない。
もっともこれは、和紗と並んで歩いていても恥ずかしくないように、とした事なんだけど。
和紗の方は、店の看板娘として、週6日くらいで働いていた。
何しろ可愛くてスタイルがいいから、和紗狙いの客もそこそこ増えているらしい。
お爺さんの言う通り『人見知りしない』和紗は、酔った客からたまにセクハラを受けても、それを冗談っぽくイジり返して場を盛り上げていた。
田舎の出だけあって、明け透けなオヤジの扱いには慣れている。和紗はそう鼻を高くしていた。
そんな生活を続けているうち、また夏がやってくる。
和紗と初めて会ったのも暑い日だった。
それから2年後。僕らは、ようやく本当の意味でお互いを知ることになる。
何日も前から、その日の予定は決まっていた。昼はプール、夜は浴衣を着ての花火大会。
2人でプールに行くのは初めてだから、嫌でも興奮してしまう。
和紗の、水着姿……。
気温が上がるにつれて和紗も薄着が多くなり、そのスタイルの良さを改めて感じていたところだ。
まず、なんといっても胸が大きい。
英字のプリントされたシャツを着ると、胸元の文字だけが歪んでしまうぐらいに。
その一方で腰は細くて、胸の大きさを際立たせる。
胸と腰の落差でシャツに皺が寄っていたりすると、正直目のやり場に困ってしまう。
そんな彼女の水着姿は、どんなだろう。デートを翌日に控えた夜、僕は悶々としながら想像する。
そして、いざ当日。
女子更衣室から現れた実物は…………僕のどんな妄想をも超えていた。
水着はビキニタイプで、プール際で映えるエメラルド系の色だ。
トップスは首後ろで結ぶ、ホルターネックタイプの三角ビキニ。
これは、ただでさえボリュームのある胸がずっしりと強調されて、つい視線が釘付けになる。
ボトムはボトムで、骨盤の辺りにぴったり嵌まっていて、くびれた腰から太腿にかけてのラインを隠さない。
もちろん脚線も丸見えだった。
最近はあえて意識しないようにしてたけど、こうして水着姿を見せられると、もう誤魔化しが利かない。
僕が罪悪感に苛まれながらも、何度となくオカズにしてしまった脚。
田舎の垢抜けない子だったのがウソに思えるぐらい、すらっと伸びた美脚だ。
和紗がその美脚を前後させながら近づいてくるのを、僕はただ呆然と眺めていた。
誰だろう、このモデルみたいな美女は。
どうして近づいてくるんだろう。
あんまりにもじっと見すぎていたから、文句を言いにきたのかな。
そんな事を思わず考えてしまうぐらい、僕とはあまりにも不釣合いだ。
客観的に見ても、和紗は魅力的らしい。
プールサイドにいる色んな異性……よく日焼けしたサーファー風やホスト風の男、家族連れの父親、
そうした女性に耐性のありそうな人達でさえ、ほとんどが和紗を振り返って見ている。
「えへへ、お待たせ!」
その注目の的が、僕の前で笑顔を作るなんて。これは夢だ。夢に違いない。
僕は、和紗のやわらかい手が僕自身の手を握ってくる瞬間まで、ひたすらにそう考えていた。
女の子とプールで遊ぶのは初めてだ。
ビーチボールで遊んだり、ウォータースライダーをしたり、流れるプールで浮き輪に乗った彼女を引っ張ったり……。
それはとても楽しくて、常に大量の水を飲んでいるように、胸がドキドキする体験だった。
そしてふとした瞬間、つい彼女の胸に視線が吸い寄せられてしまう。
メロンが2つ並んだようなそこは、男子の目を引くのに十分すぎる。
和紗は午前中、ずっと屈託なく笑っていたけれど、その視線にはちゃんと気付いていたみたいだ。
「ねぇ、壮介。私の身体、何かついてる?」
昼のプール休憩中、ヤキソバを食べ終えた僕に和紗が言った。
くるりと向けられた背中には何もない。
うなじから胸へと降りるビキニ以外は、ただピンクに近い健康的な肌があるだけだ。
「別に。どこにも何もついてないよ」
「ホント? でも、なんか……周りからすごい視線感じるよ?
店員さんに選んでもらったんだけど、この水着って、やっぱり変なのかなぁ」
和紗はバスト付近の生地を指で弾きながら言う。
僕には、注目の理由が解っていた。
何だかんだといっても、男は豊満なバストに目を奪われてしまう生き物なんだ。
少なくともEカップはある胸がホルターネックの水着で強調されてたら、それだけで注目されるのに十分。
おまけに和紗はスタイルが良い。くびれた腰とすらっとした脚はモデル並みだ。
髪は背中まで伸ばされた艶々のロングヘアで、顔立ちもすっぴんとは思えないほど可愛い。
これだけの条件が揃っていて、見られない訳がないんだ。
でもそういう細かい理由まではあえて言わず、僕はただシンプルに答える。
「見られるのは、和紗が可愛いからだよ」
僕が笑顔でそう言うと、なぜか和紗は頬を膨らませる。
「む。真剣に聞いてるんだから、冗談やめてよ。
これだけスタイルが良くて可愛い人がいっぱい居るのに、私なんかが特別注目される訳ないでしょ。
……ねぇ、理由わかってるんなら教えてよ。カキ氷おごったげるから!」
拗ねた子供のような顔が目の前にある。
アナウンサーみたいなキレイな笑顔も魅力的だけど、僕はやっぱり、こういう自然な和紗の顔が好きだ。
この広いプール内でも、和紗の生の表情を見られるのは僕だけ。そう思うと、どうしても表情が緩んでしまう。
「うーん。本当に、可愛いからだと思うんだけど」
僕はそう言って頬を掻く。
「またぁ。そんな訳ないって!」
和紗はあくまで納得しない。
さてどうしたものか、と思った瞬間。
「や、オネーサンまじ可愛いっすよ!」
隣のテントから、高校生ぐらいに見える男達が声をかけてきた。
いかにも女子人気が高そうな、筋肉質で日焼けした3人。僕よりも明らかに英児寄りだ。
「そうそう。思わず見ちゃうぐらいカワイイっす!」
他の2人も同じ事を言って、照れたように笑いながらプールに走り出していく。
僕と和紗は、その後姿をみて呆然としていた。
今までなんとなく感じていた第三者からの評価を、はっきりと口に出された瞬間だ。
拗ねたような和紗の顔がみるみる赤くなって、俯く。
しばらくの無言。
こういう時にさっとフォローできない自分が恨めしい。
「………………本当に?」
和紗は上目遣いでそう言った。
「うん。可愛いよ、和紗は」
僕ははっきりと口に出す。すると和紗は、茹ったみたいに腰を抜かした。
そしてそのまま、照れ隠しのようにゴロンと横になる。
「ねぇ、壮介。オイル塗ってよ」
少し聞き取りづらい声。多分、組んだ腕に顔を埋めてるんだろう。
「いいよ」
僕はサンオイルのボトルを手に取る。
でもいざオイルを塗り込む段階になって、僕は息を呑んだ。
そういえば、和紗の身体をじっくりと触るのはこれが初めてだ。
手を繋いだ事はもう何度もあるけど、背中や太腿に触った事はない。
僕は固まったまま、うつ伏せになった和紗の後ろ姿を改めて見つめる。
健康的で血色のいい肌。
芳葉谷にいた頃は、ピンクよりもやや薄茶に近い肌色だったけど、こっちで暮らし始めてから白くなってきたみたいだ。
たぶん本来の彼女は、あんまり日焼けしないタイプなんだろう。
そして、変わったのは肌の色だけじゃない。
スタイルも、こっちで暮らし始めてから明らかに洗練されてきてる。
元々スタイルは良いほうだったけど、畑で雑草採りをやっていた頃は、そこまで腰がくびれてもいなかったはず。
彼女はどんどんキレイになっていく。
それは、彼女自身のため? それとももしかして、僕に見せるため?
「どうしたの?」
和紗の顔が横を向いて、不思議そうに僕を見上げる。
「あ、い、いや! 何でもないよ!」
僕は慌てて、和紗の背中にサンオイルを塗りつけた。
吸い付くようでな肌触り。でも押し込むと、柔らかいゴムみたいな反発がある。
これが、和紗の……そして、“鵜久森さん”の肌なのか。
そう思うと、それだけで僕自身が固くなってきた。もし今和紗が正面を向けば、海パンを盛り上げるものが丸見えだ。
ちょうどシートの横を通った女の子の二人連れが、僕の下半身に気付いてクスッと笑う。
その状況を誤魔化すように、僕は一心にオイルを塗りたくった。
背中から、肩。脇腹。そして太腿。
「んっ、んふっ……ちょっ、くすぐったいよぉ!!」
和紗は横顔で笑いながら身を捩る。
僕はつられて笑いながら、彼女と一緒に居られる幸せをひたすらに噛みしめた。
3時過ぎまでプールで過ごしてから、一度お互い家に帰る。
そして夜は花火大会だ。
生暖かい風の中、浴衣を着て和紗のマンションまで迎えに行く。
のんびり歩いても5分とかからない。
「はーい!」
呼び鈴を押すと、普段より1オクターブ高い余所行きの声がした。
そしてドアが開き、浴衣に身を包んだ和紗が現れる。
僕はまたしても息を呑む事になった。
髪を結って帯をつけた彼女は、昼ともまた雰囲気が違う。
甘味処で割烹着を来ていたせいだろうか、和装がやたらによく馴染んでいる。
薄い化粧のせいで、雰囲気そのものも大人っぽく変わっていた。
どうも彼女は、すごく化粧映えする顔みたいだ。
「わざわざ、ありがと」
そう言って自然に手を繋いでくる彼女は、一足早い花火みたいに眩かった。
電車の中も、それを降りてからの道も、人、人、人。
地元の小規模な花火大会とはいえ、こういう時だけは活気が凄い。
僕らははぐれないように気をつけながら、ようやく屋台の立ち並ぶ会場にまで辿り着いた。
「何が食べたい? 何でも奢るよ」
僕が訊くと、和紗はくるりとした瞳で辺りを見回す。
「えっと、じゃあ……りんご飴」
彼女はそう言って、可愛らしいお菓子を指差した。
でも、僕は見逃さない。今彼女の視線がもっと情熱的に捉えていたのは、別のもの。
例えば、『じゃがバター』や『ステーキ串』。『チヂミ』もかな。
本来彼女は、草食系な僕とは対照的に肉食系だ。
言動だけじゃなく、食べ物の好みも。
本音ではカロリーのある物に惹かれつつも、デート中の女の子として慎ましくしなくては、と思ってるんだろう。
その気持ちは正直嬉しい。でも僕は、彼女に遠慮なんてして欲しくなかった。
「そっか。じゃあ僕は…………なんだか、お腹減っちゃったな」
苦手な演技をしつつ、僕はさっき彼女が興味を示した物を買い漁る。
和紗が目を丸くしているのを横目に見ながら。
「壮介って、そんなに大食いだっけ……?」
僕がどっさりと手に抱えたパックを見て、和紗が問う。
僕はその和紗を観察した。僕を心配しつつも、時々涎を垂らしそうな感じで食べ物を見ている和紗を。
「うーん、調子に乗って買いすぎたかな。良かったら、半分こしようよ」
僕は石段に掛けながら誘う。
和紗はお尻の下に手拭いを敷きながら、隣に腰掛けた。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて貰おうかな」
そう言って柔らかな笑顔を見せる。化粧のせいで、その綺麗な笑顔はいよいよアナウンサーやスチュワーデスみたいだ。
高嶺の花も良いところ。でもすぐにその雰囲気は、いつもの彼女に戻る。
心の底から幸せそうに物を食べる様子は微笑ましい。僕は、そんな彼女の姿が大好きだ。
「美味しいね」
僕自身も、こうして食べる物の美味しさを噛みしめながら言った。
「うん」
和紗は短くそう答えてから、少し黙る。そして、
「…………壮介は、すごいね」
聴こえるかどうかの声でそう呟いた。
僕は一瞬その意味が解らず、そして理解できると、何だか照れ臭くなってしまう。
食べるものを食べると、和紗は普段の彼女に近くなった。
「よーし、やるぞー!!」
浴衣の袖を捲ってスーパーボールすくいに挑んだ彼女は、輝いていた。
早々に網を破った僕とは違い、次々にボールを救っていく。
それは他の客どころか、屋台のおじさんさえも賞賛するものだった。
それだけじゃなく、射的や輪投げでも僕じゃ相手にもならない。
田舎育ちだからか、和紗は体を使う遊び全般がものすごく上手かった。
そうして下町の姉御さながらに屋台を荒らした彼女も、いよいよ花火が始まると、また様子が変わる。
石段に腰掛けた僕へ、和紗は甘えるように寄りかかった。
肘の辺りに胸が当たっている。
空には六連の大玉が鳴り響いていて、心臓の高鳴りをいよいよ煽ってくる。
「私いま、ものすげぇ幸せだぁ……」
花火の轟音の合間に、小さくそう聴こえた。
彼女の素である方言。他の誰にも聴こえてはいないだろう。隣にいる僕にしか。
「僕もだよ」
自然と、その言葉が口をついた。
そして、どちらからともなく顔を見合わせ、そのままの流れで唇を合わせる。
ちょうど空に大きな華が咲いて、僕らの横顔を七色に染めた。
※
花火が終わった帰り道でも、僕らの火照りは止まらない。
プールでのジリジリとした日焼けが、今でも続いているみたいだ。
周りには、同じく熱を持ったようなカップルが何組もいて、肩を抱きながら脇に並ぶラブホテルへと消えていく。
僕らは、何件かのホテルを俯きながら通り過ぎた。
ホテルの前までくると、2人とも歩く速度が遅くなるから、多分考えは一緒なんだ。でも、勇気が足りない。
僕は勇気を出そう出そうと思ったけど、結局、先に切り出したのは和紗だった。
「ちょっと、歩くのに疲れちゃった。…………休憩してこ」
そう言って彼女は、すぐそばのホテルに目線を送る。
かなりお洒落な感じのホテルだ。見た目だけなら、ちゃんとしたシティホテルにも見える。
「…………そうだね。休んでいこっか」
僕はそう言いながら、自分の顔がものすごく強張っている事に気がついた。
でも、目の前の和紗の顔だって似たようなものだ。
2人してぎこちない動作でホテルに入る。
フロントの脇には、部屋の写真がずらっと並んでいた。部屋ごとに料金も設備も色々だ。
僕と和紗は、そのシステムに圧倒され、とりあえずそこそこの料金の部屋を選ぶ。
「部屋、4階の突き当たり」
愛想の欠片もないフロントの受付は、僕の顔さえ見ようとしない。
でも和紗が視界に入ると、僕と彼女を交互に仰ぎ見た。
やっぱり不釣合いなんだろうか。でも、今はそんな事は忘れよう。男としての自信を持とう。
部屋は広かった。
狭い個室のようなイメージとは全く違って、お洒落なマンションの部屋という感じだ。
洗面所にトイレ、テレビ、冷蔵庫なんかが揃っていて、十分に暮らしていけそう。
普通の家と違う所といえば、アダルトグッズの自販機と、プールのような豪華なバスタブ、そして大きなベッドぐらいか。
「うわぁー、すっごいねぇ!!」
和紗は部屋の豪華さに目を輝かせ、部屋の中を色々に見て回っていた。
好奇心旺盛なその姿は子供みたいだ。それを見ているだけで、思わず僕まで笑顔になってしまう。
でも、和紗がはしゃいでいたのも最初だけ。
横並びでベッドに座ってテレビを見ているうちに、すっかり『そういう雰囲気』になる。
「んっ、んむっ……はうっ」
キスの声が部屋に響く。
花火の時みたいな浅いキスじゃない。舌を深く入れて絡ませる、正真正銘、恋人のキス。
和紗の唾液は甘く感じた。
唇と唇で繋がりあいながら、お互いの浴衣を脱がしていく。
刻一刻と露わになっていく和紗の肌。プールでの水着焼けが妙にいやらしい。
すべて脱がしきるのを待てずに、僕は彼女への愛撫を始めた。
吸い込まれるように掴んだ乳房は、屋台で和紗に渡された水風船とよく似ている。
お湯をたっぷり入れた水風船という感じだ。
「ん、あ……っ」
でも水風船は、揉んだ時にこんな色っぽい声は出さない。
僕はその声に気をよくして、さらに彼女の身体中を知ろうとする。
身体にはシミ一つなかったけれど、ホクロはいくつかあった。
左腋の傍にあるホクロは肉眼でも見やすくて、これと大きな胸を目印にすれば、顔を見なくても彼女だと解りそうな気がする。
「…………はぁっ、ああ、んっ…………ふぁ、ああ、あっ…………!!」
僕の愛撫に対して、和紗は目を細めながら切なそうな声を漏らす。
それは、明らかにこういう刺激に慣れていない人間のする事に思えた。
ひょっとして、僕が初めての相手なんだろうか。
いや、有り得ない。こんなに魅力的な彼女が、高校を卒業するまで誰とも関係を持ってないなんて。
でも、万が一そうなら。
「もしかして、こういう事……初めて?」
僕はしばらく悩んだ末、意を決して尋ねる。
すると和紗は、やっぱり少し間を置いてから、小さく頷いた。
「う、うん……」
その答えを聞いて、僕はよっぽど驚いた顔をしたんだろう。
すぐに和紗は、顔の前で手を振る。
「あ、で、でも、する事は知ってるんだよ。
ウチみたいな田舎じゃ、田んぼの裏で近所のおじさん達がしてたりとかするんだから。
そういうの、何回か見てるから、する事は解るんだ」
「あ……そうなんだ」
「そうそう。田舎出身を舐めないでよね!」
大きな胸を張って自信満々な和紗。
でも、次に僕が何気なく漏らした一言で、その表情は一変する。
「最初は痛いって聞くけど、大丈夫なの?」
「………………え?」
虚を突かれた、という感じで固まる彼女。
僕はこの時点で、あやうい空気を感じ取ってしまった。
「いや、最初は大体、処女膜っていうのが破れて、血が出るって…………」
そう補足すると、さっと和紗の顔が青ざめていく。
「ま、膜……やぶれ………………ち、血………………??」
うわ言のように呟き、視線を宙に彷徨わせ始める。
その様子を見て、僕は決断した。このパニック状態じゃ、するのは無理だと。
「や、やっぱり今回はやめよっか。またその気になったら」
僕がそう言って和紗の身体を離そうとした瞬間。
彼女の手が僕の手を掴んだ。
「ダメ!」
「えっ……で、でも、大丈夫なの? 最初って事は、さっき言ったみたいに……」
「だから、だよ。どうせ最初はそうなっちゃうなら、壮介にしてほしい。
壮介なら、優しくしてくれそうだし…………大好きな壮介となら、我慢できそうだから」
潤んだ瞳で訴えかけてくる和紗。こんな目をされたら、断れる訳がない。
僕もこういう事は初めてで、上手くリードできるかは不安だけど、ここはもうやるしかない。
僕はそれから、もっと熱心に愛撫を続けた。
頭の中の知識を総動員して、女性が“濡れる”ように刺激する。
向かい合ったまま、乳房をひたすらに揉み上げたり。
抱きしめたまま、クリトリスを指で刺激したり。
それを続けるうちに、和紗の息はますます荒くなって、肌には汗が伝い始める。
たぶん興奮してるんだろう。
そのうち和紗の瞳はとろんとして、熱に浮かされたようになった。
「ね、して…………」
その言葉は、普段の彼女のイメージとはあまりにも遠い。改めて、今僕らがしている事の特殊性を感じてしまう。
彼女自身の許しを得て、僕はトランクスから僕自身を解放した。
すでに興奮しきって、ギンギンだ。
「…………っ!!」
和紗が目を見開く。
多分、ここまで勃起した物を間近で見るのは初めてだろう。
そして、それを今から受け入れるんだという事も理解している筈だ。
少し、彼女が可哀想になる。でも、僕は彼女を傷つける為にセックスをするんじゃない。
これは、男女がより深く愛し合うための儀式なんだ。
恥ずかしそうな和紗の太腿に手を掛けて、柔らかく開く。
ごく薄い茂みと、その下に走る綺麗なピンク色の筋が見えた。
本やネットで何度も見たけど、実物の興奮はそんな比じゃない。
特にそれが、大好きな女の子のものなら尚更だ。
僕は大きく深呼吸を繰り返す。このまま突っ走ったら、たぶん心臓が破裂してしまう。
そうして決意を固めてから、僕はローションを手に取った。
少しでも和紗の負担を減らしてくれるよう祈りを込めて、アレに塗りたくる。
これでいよいよ、準備万端だ。
自分の物を片手で掴みながら、ピンクの裂け目に宛がう。
ゴクリ、と和紗の喉を慣らす音が聴こえる。
「じゃ、じゃあ、いくよ…………。痛かったら言ってね」
僕の声は緊張で強張っていた。
「うん……。もし痛くしたら、背中引っ掻くから」
和紗はぎこちない笑みを作りながら言う。
「う……努力します」
僕はつられて苦笑した。
固くなった亀頭部分を肉ビラに割り込ませ、ゆっくりと腰を進める。
亀頭が入り込むまではスムーズで、でもそこからさらに進もうとすると、抵抗が来る。
みっしりと合わさった襞の中を、切り裂いていくような感じだ。
湿り気のある襞がアレに隙間なく纏わりついてきて、僕の方は気持ちいい。
でも、身体の内部を切り裂かれるような和紗はどうなんだろう。ついその心配をしてしまう。
「う、くく……う…………」
和紗は、眉を顰めていた。目を固く閉じて、片手でシーツを掴んでいる。
絶対に痛いんだ。注射が10秒続いたって、あそこまでの反応はきっとしない。
「大丈夫? い、痛くない?」
僕はそう囁きかけた。心配でならない。
もう僕のアレは半分くらい入っている。処女膜という物が破れていてもおかしくない頃だ。
僕の問いかけが聴こえたのか、和紗は薄く目を開く。そこには余裕なんてものは感じられない。
僕は、しまった、と思った。
ひょっとして、この問いかけさえも迷惑なぐらい余裕がないんじゃないかって。
でも和紗は、目の端に涙を湛えたまま、ゆっくりと首を振る。
痛くない、という事なのか。
「ほ、ホントに……?」
「はぁっ、はぁっ…………背中、引っ掻いてないでしょ…………。だから、痛くない。つらく、ないよ…………」
和紗は、息も絶え絶えという様子で囁き返した。
太陽のようにエネルギッシュな彼女が、ここまで疲弊するなんて。
でも実際、彼女の手は、僕の背中を優しく抱きしめているだけだった。
僕は、それに安心する。
そして同時に、僕は堪らなくなった。
和紗の中は、とんでもなく気持ちがいい。うねるように纏わりつく膣壁が、僕の爆発寸前の物を刺激してくる。
動きたい。滅茶苦茶に前後に動いて、プールサイド以来、堪りに堪った興奮を発散したい。
そんな欲望が、頭の中を刺してくる。
「う、動いてもいいかな」
僕は訊いた。もう伺いを立てるのさえ精一杯だ。
「いいよ。好きに動いて」
和紗は、僕を背中ごと抱きしめながら頷いた。
僕はそれに感謝しながら、深く腰を沈める。
高校のクラスメイトにも、大学の知り合いにも、セックスの話ばかりしている奴がいる。
僕はそれを獣みたいだと内心で嫌ってたけど、今ならその気持ちも少しはわかる。
セックスって、気持ちがいい。
他の何もかもがどうでもよくなるぐらいに。脳味噌がドロドロに解けてしまうぐらいに。
パンッ、パンッ、パンッ、と腰を打ち付ける音が繰り返されていた。
よく耳を澄ませば、それに呼応する形で、ローションの攪拌されるぬっちょぐっちょという音もしていた。
僕が、和紗のより深い部分を抉る音。彼女を緩やかに傷つける音。
けれども、至福の音。
「すき…………すきだよ、壮介。壮介と、やっと一つになれた。嬉しい、すごく!!」
和紗も涙を溢しながら、強く僕の体を求めてくれる。
この瞬間、僕らは間違いなく、今までのどの瞬間よりも深くつながり合っていた。
※
身も心も重ねあった僕らは、充実した気持ちで新しい生活を満喫した。
僕は大学とコンビニバイト、和紗は居酒屋でのバイト。
それをお互い必死にこなしつつ、たまに空いた日が重なればデートする。
そして僕は、和紗の働く居酒屋に客として顔を出すことも多かった。
あくまで、『客として』だけど。
店のアイドルである和紗と僕が恋仲なんて知れたら、余計な面倒が起こりかねない。
だからあくまで、親しい客として遊びに行く。
それも一人でだと気まずいから、大学の友人を連れての事がほとんどだ。
そして、そんな状態が続いてから数ヶ月目のある日。僕はついに、英児をその居酒屋に連れて行った。
「あっ、あの時の!!」
英児は店で働く和紗を見て、すぐに駅前通りで会った時の事を思い出した。
女の顔は忘れない、と豪語しているのは、冗談ではないのかも。
「あっ、どうも!」
和紗も驚いて、とびきりの営業スマイルで頭を下げた。
僕経由で散々話は聞いてたものの、実際に会うのはこれで2回目だ。
居酒屋の主人である佐野さんは、そんな僕らの様子をにこやかに見ていた。
「鵜久森さん、今日の仕事はもう大丈夫だからさ。
そちらのお二人さん、知り合いなんでしょ? 一緒に飲みなよ」
そう言って、瓶ビールを出してくれる。
僕と和紗の関係を知っている佐野さんは、他に客がいない時、よくこういう気遣いをしてくれた。
和紗はひたすらに恐縮していたものの、佐野さんは柔和な笑顔で、大丈夫、と繰り返す。
和紗のお爺さんもそうだったけど、まるで本当のお爺ちゃんみたいだ。
結局、僕と和紗、そして英児で、初めて酒の席を囲むことになる。
英児とは大学が分かれてからはメール連絡ばかりだったから、本当に嬉しい。
そしてこの日僕は、改めて英児の凄さを思い出す事になった。
空気を読む力が、完全に僕とは別格だ。
僕や和紗の望んだ事を、まさにドンピシャのタイミングでやってくれる事多数。
それどころか、一見何気なさそうな行動が実は重要で、数分遅れでやっと彼の行動の意味が理解できたりもする。
僕も和紗も、その手際の良さには感心しきりだった。
「や、こういう酒の席に慣れてるだけだって。慣れだよ慣れ」
本人はそう謙遜するけど、酒を飲めるようになって一年と経たずにここまで慣れるなんて、僕には無理だ。
単純な経験値だけじゃなく、それを最大限生かす頭の回転と、要領の良さ。
英児はそれを並外れて持っていて、おまけにそれを鼻に掛けない。
モテて当然だと改めて思う。同性の僕でさえ、男として惚れてしまうぐらいなんだから。
英児がいると話も弾んだ。
そしてその中で、話は間違い電話の事になる。和紗が僕の携帯を弄って、英児に電話してしまった事件だ。
思えばあの時すでに、僕ら3人の集まる運命は決まってたのかも。
そんな風に思えてしまう。
楽しい時間はすぐに過ぎて、あっという間に夜が更ける。
治安が良いともいえない飲み屋街だ。和紗がいる状態であまり遅くなってもと、飲みはお開きになる。
そして、帰り際に英児とトイレに立った時の会話が忘れられない。
「あの子、すげーいい子じゃん。大事にしろよ」
英児は赤ら顔でそう言ったあと、大きくしゃっくりをする。
そして笑う僕をしばらく眺めてから、再び口を開いた。
「なんつーか、アレだ。ホッとしたよ」
「えっ?」
言葉の意図が解らず、僕は訊き返す。英児の口の端が吊りあがった。
「こう言うのも何だけどよ。高校の頃のお前って、俺が中心のグループに寄ってくるばっかだったじゃんか」
まったくもってその通りだ。
僕の記憶にある限り、英児は常に人の輪の中心にいて、僕はお情けでその輪の中心近くに寄せてもらうだけだった。
高校までの僕のコミュニケーションはほぼすべて、そうして『経験させてもらった』ものだ。
「でも今日はその逆でよ。お前が中心になって回ってる所に、俺が呼ばれたんだぜ?
なんつーかよ……しばらく見ねぇうちに、デカくなったよなぁ、お前も」
僕の肩をポンポンと叩きながら笑う英児。
相変わらず、同い年なのに背丈も風格も違いすぎて、いくつか年上の兄みたいだ。
でも、そんな英児に褒めて貰えるのは本当に嬉しい。
「君のおかげだよ」
僕は本心でそう言った。
変わったきっかけは和紗で、そのきっかけを掴むまで僕を守ってくれたのが英児だ。どっちがいなくても、今の僕はない。
「ん? ああ……ま、そーかもな!!」
英児はそう言っておどけてみせる。
この時には僕も酔いが回っていて、世界がゆっくりと回転するようだった。
元々酒が強いほうでもないのに、気をよくして呑み過ぎたみたいだ。
ふらつく僕を、英児ががっしりと抱きとめる。
「おら、大丈夫かよ相棒? 夜道であの子を送ってやるのはお前の役目だぜ?
今は、お前の春だ。お前の時代だ!!!」
僕の肩を抱きながら、腹からの大声で宣言する英児。
その言葉を聞くうち、本当に今が僕の時代のように思えてくる。
和紗と英児――僕にとって最も大きな存在である2人から、こんなにも評価される日が来るなんて。笑いが止まらない。
この夜僕は、間違いなく幸せの絶頂にいた。
続く