大樹のほとり

自作小説を掲載しているブログです。

2015年07月

向こう岸の彼女 六話

※ お  ま  た  せ
  地獄の始まりです



すんなりと大手の内定を取った英児に比べて、僕の就活は泥沼の戦いだった。
他人より優れていると主張するのが苦手な僕は、採用する側にもさぞダメそうに見えた事だろう。
それでも諦めず頑張り続けられたのは、偏に和紗のおかげだ。
『がんばれ パパ』。
白米に海苔でそう書かれた“愛妻弁当”を公園のベンチで広げれば、どんな疲れだって吹っ飛んでしまう。
そして我が家に帰った後は、日増しに膨らんでいく妻のお腹に耳を当てる。
「ふふ。生まれてくるの、楽しみだねぇ」
内職の編み物をしながら、和紗は笑う。外で見せる綺麗に整った笑顔とは違う、子供のように屈託のない笑顔で。
「うん……楽しみだ」
僕も満面の笑みを返す。
心の底から活力の湧いてくる、温かな時間だ。

そして、22歳の春。
僕は悪戦苦闘の末に、なんとか新社会人としての生活を送りはじめた。
給料は決していいとは言えず、入社2日目にしてサービス残業を強いられる。
とはいえ、和紗と2人で暮らすマンションの家賃補助ぐらいは出たし、何より不満を言える身分でもない。
僕はひたすら『良い歯車』になるべく、必死に仕事を覚えた。
もちろん、和紗との生活もないがしろにはしない。
和紗のお腹が目立ち始めた頃、2人で芳葉谷に帰った時のことは印象深い。
まずは和紗のお爺さんの所へ挨拶に伺い、その後で甘味処の跡地に立ち寄った。
廃業してから4年強。ボロボロに朽ちて蔦だらけになった店を眺めていると、僕でさえ物悲しい気持ちになったものだ。
和紗は何も言わなかったけれど、僕の手を握る強さから、その心情は読み取れた。
甘味処を後にしてしばらく歩けば、山の中の寺に辿り着く。
この芳葉谷で、僕が最初に辿り着いた南の寺。
安産祈願のこの寺こそ、この小旅行における一番の目的だ。
「元気な子が生まれますように」
2人して手を合わせ、心を込めて祈る。
かなり長く祈ったつもりではあったけど、僕が目をあけた時、隣の和紗はまだ祈っている最中だった。
祈りにかける想いで負けたような気がして、少し恥ずかしくなる。
それと同時に、僕は改めて和紗を真横から観察する機会を得てもいた。
妊娠っていうのは不思議だ。少し前までは驚くほどにスレンダーだった体型が、すっかり変わっている。
それもただ太ったわけじゃない。腕の細さはそのままに、お腹だけがぽっこりと突き出ている。
その中に僕と和紗の愛の結晶がいると思っただけで、嬉しいような恥ずかしいような、妙な気分になってしまう。
「なーによ壮介、ジロジロ見て」
と、和紗がいきなり片目を開けて、僕をジロリと睨み上げる。
「いやぁ、あはは…………!!」
僕はつい照れ笑いを浮かべた。
そう、この時は笑っていられた。少し先に待つ運命なんて知らなかったから。

 ――もう少しでも長く、もう少しでも真剣に祈っていたら、すべてが変わっていたかもしれない。

後に嫌というほどそう後悔するなんて、想像もしていなかったから。




和紗が産気づいたと連絡を受けたのは、仕事の昼休憩が終わる直前だった。
僕はすぐに上司に事情を説明し、病院に駆けつける。
周りから見ても相当な慌てぶりだったみたいで、上司からも病院の受付の人からも、落ち着いてと宥められてしまった。
「はぁっ……はぁっ、そ、そう…………すけ………………」
和紗は分娩台の上で、真っ青な顔をしながら僕を呼ぶ。
いつもの血色の良さがない。そのまま死んでしまうんじゃないかってぐらい、顔色が悪い。
「和紗、が、頑張って…………!!」
僕は愛する妻の手を握りながら、祈りを込めてそう言った。
僕らは予め、出産時に立会いはしないと決めている。僕が血が苦手なのもあるし、和紗も産む瞬間を見られたくないそうだから。
立ち会えない分、気持ちだけでも和紗の傍に置いておこうという気持ちで、僕は和紗を励まし続けた。
「はぁっ…………はーっはっ…………ううう゛っ!!」
和紗は最初こそ嬉しそうに笑ってくれたけれど、それもすぐに苦しそうな顔に変わる。
「出産の準備を始めますから、外に掛けてお待ち下さい」
助産婦さんにそう促されて、僕は入り口に向かう。
そして、扉を開けてまさに外へ出ようという瞬間、たまらずに振り返った。
和紗はそれに気付いて、苦しみの中でも僕に向けて笑顔を作ってくれる。心配しないで、と言うように。
なんて強くて、なんて優しい妻なんだろう。僕は改めて感動してしまう。
後は彼女自身の頑張りと、経験豊かな助産婦さんに任せるしかない。

廊下に置かれた長椅子に浅く腰掛けながら、僕はただ時を待った。
ドラマなんかで見飽きるほどに見た光景だけど、実際自分が経験してみると新鮮だ。
ほんの数秒がおそろしく長く思える。
分娩室の中で頑張っているだろう和紗にエールを送りつつ、子供が産まれた後の事を延々と想像したりもする。
一寸先への不安と、将来への期待が入り混じる時間。
椅子から立ち上がっては分娩室のドアを見つめ、窓の外に目をやり、また座っては貧乏揺すりして、の繰り返し。
その果てに、ふと、赤ん坊の声が聴こえた気がした。
「!!」
僕は弾かれたように顔を上げ、全神経を目の前の扉に集中させる。
確かに扉の向こうから泣き声がしているようだ。ただ、それが和紗の部屋からなのかがはっきりしない。
隣の部屋でも今まさに出産が行われているみたいで、そっちから聴こえてきているような気もする。
改めて周囲を見ると、僕と同じようにやきもきしている男の人が他に何人もいた。
どうも今日は、複数件の出産が重なっているみたいだ。
と、その時、僕の目の前の扉が開いた。
疲れた表情の助産婦さんが一人出てきて、後ろ手に扉を閉める。
「あ、あのっ、生まれたんですか!? 男の子ですか、女の子ですか!?」
僕は辛抱できずに助産婦さんに問いかけた。この時の僕は、多分半笑いだったはずだ。
心配こそしたけれど、心の底では無事生まれるものと決めてかかっていたんだろう。
『元気な男の子ですよ』
そんな声が今にも聞けるはずだと、僕は思っていた。
けれど。
「…………少し、お話よろしいですか」
助産婦さんは難しい顔のまま、部屋の一室に僕を招く。
「えっ?」
僕の喉からは、ただ間の抜けた声が出た。何かおかしい。何か変だ。その悪寒で、背中にじっとりと汗を掻きながら。


「…………つまり………………死産、って事ですか?」
僕がかろうじて搾り出したその問いに、助産婦さんは申し訳なさそうな顔で頷く。
その反応を見た瞬間、僕は思わず丸椅子の上でバランスを崩しそうになった。
腰が抜ける、というやつだろう。身体の芯がすっぽり抜け落ちたみたいに、一瞬座る姿勢を保てなくなったんだ。
「あまり、お気を落とされないよう……」
助産婦さんは必死に励ましの言葉をくれていた。でも、正直耳に入らない。
「か……和紗に、妻に会わせてください!!」
僕はそう乞うた。死産でショックなのは僕だけじゃない筈だ。まずは和紗の元へ駆け寄って励ましてやりたかった。
でも、助産婦さんは厳しい顔で首を振る。
「奥様も今、ひどく取り乱されています。今、混乱した状態の貴方がお会いになるのは危険です。
 しばらくは私共にお任せになって、まずは貴方ご自身がお気持ちを整理なさって下さい」
強い語気でそう言われると、もう何も言えなかった。
それに言われてみれば、今和紗に会うのが良い事とは限らない。
和紗のことだ。僕に申し訳ないと思う気持ちがまずあって、僕本人を前にした瞬間、その自責の念が爆発する可能性だってある。
「………………すみません、取り乱してしまって。妻を、よろしくお願いします」
僕は助産婦さんに深く頭を下げた。
助産婦さんも頭を下げ返し、申し訳なさそうな目で僕を見る。
その目と、現在の状況。どちらもが居たたまれない。
僕は逃げ出すように家に帰って、思わずソファに崩れ落ちた。
涙が頬を伝う。ソファからほのかに漂う和紗の匂いが鼻をくすぐって、また目の奥から涙があふれていく。

 ――どうして、どうして僕らなんだ!

その感情が胸に渦巻く。
僕も和紗も、悪いことをした覚えなんて一つもない。他人の悪口も言わなければ、困っている人の手助けを渋った事もない。
我ながら呆れるほど品行方正にやってきたつもりだ。和紗と出会ってからは、特に。
その僕と和紗の子供を、どうしてこの手に抱く事ができないんだ。
贅沢を望んだわけじゃない。過ぎた身分を求めたわけでもない。
僕らは、ただ一つの宝物…………愛の結晶が欲しかっただけなのに。
「畜生っ!!!」
僕は拳を振り上げて、ガラステーブルに叩き付けた。
冷たい感触の直後、手の骨の中にハンマーを打ち込まれたような鈍い痛みが襲ってくる。
小指が痺れて、曲がったまま戻らない。小指の付け根が、折れたみたいに痛い。
でもそんな刺激的な痛みでさえ、胸のそれを掻き消すには程遠かった。






「…………じゃあ、行ってくる」
和紗は僕を振り返り、笑みを浮かべた。
明らかに無理をした表情だ。やつれた顔に浮かぶ薄笑みは、むしろ痛々しくさえある。
喪服に近い黒のロングワンピースやパールのネックレスが、余計にその陰を増している。
ただ、僕はそれを非難しない。彼女なりに考えがあっての事だろうから。
「ご飯は、冷蔵庫に入ってるから。お肉もちゃんと食べてね。それから、火の元には気をつけて」
「うん。解ってるよ、大丈夫」
僕は苦笑する。和紗はいつもこうして、母親のように世話を焼くんだ。僕自身がかなり抜けているせいなんだけど。
ただ考えようによっては、普段の彼女に戻ったともいえる。いや、そう思いたい。
「ごめん……今度こそ、行くね」
和紗はそう言いながら、僕のおでこにキスをする。
「!」
突然の事に固まる僕。和紗はそんな僕を見て目を細めて、ドアを開く。肌寒い風が吹き込んでくる。
「…………大好きだよ、壮介。」
ドアに身を滑り込ませながら、和紗は囁いた。
そこには一瞬妙な感じがあったけれど、その正体をはっきりさせる暇もなく、鉄のドアが僕達の間を隔ててしまう。

和紗が向かったのは、僕達が安産祈願を行った寺だ。裏では水子供養も行っている所らしい。
僕らの安産祈願を聞き届けてくれなかった寺で、供養なんて。
僕は最初そう思った。でも逆に、だからこそ、という考え方もできる。
それにあの寺は、和紗の甘味処のすぐそばだ。つまり和紗にとっては馴染みの寺だったはずで、無碍にできる訳もない。
そういう事情があって、僕は水子供養のために帰郷する和紗を見送った。
もちろん、僕も一緒に供養したいのが本音だ。でも和紗はそれを許してくれない。
「これは私なりのけじめなの。心に整理がつくまでの。いつか必ず区切りをつけるから、待ってて。
 それにパパとママが両方神妙な顔してたら、あの子だって怖がっちゃうよ」
神妙な面持ちでそう言われたら、何も反論なんてできなかった。
ただでさえ精神的に不安定な状態なんだ。下手な事を言って、追い詰める結果になっちゃいけない。
それに僕自身、まだ新入社員の身であまり余裕もなかった。
休日も仕事をしないととても回らない。会社が遠いのもあって、毎日朝早く出て、帰りは遅い。
だから和紗の事を心配はしつつも、そっちにばかり構ってもいられなかったんだ。

とはいえ、大きな変化があれば流石に気付く。
例えば、それまで喪服のような地味な服だったのが、ある時から急にカジュアルな感じになったりすれば。
「あんまり暗い服ばっかりだと、かえって水子が成仏できないんだって」
僕が理由を訊くと、和紗はそう説明した。
なるほど一理ありそうだ。僕が祈られる側でも、遺族に毎日暗い服を着られたくない。
だからカジュアルな格好については、僕もそれほど気にはしなかった。
ただ、ちょうど和紗がそういう格好をし始めた頃から、妙に帰りが遅くなってきたのは引っ掛かる。

「行ってくるね」
ある土曜日。和紗はいつも通り、笑みを浮かべながらドアノブに手を掛ける。
そう、いつも通りの和紗だ。でも疑心暗鬼に陥った僕には、その笑顔さえ、どこか無理をしたものに思えてしまう。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
僕はほぼ無意識に、和紗を背後から抱きしめて囁いた。その瞬間、僕の腕の中で和紗が強張る。
やっぱりおかしい。以前の和紗なら、こうしても余裕綽々で僕の頭を撫でてきたのに。
「う、うん。気をつけるよ」
和紗はそれだけを言い残して、ドアの向こうに消える。
僕は、胸に靄が渦巻くような気分だった。
一体どうしたっていうんだ。死産がショックだったのは解る。でももう、あれから3ヵ月だ。
体型だってすっかり元に戻ったっていうのに、心の方は改善する気配がない。
いや、普段は割と普通なんだ。
まるで何もなかったかのように、僕と晩酌して談笑するし、先輩達から茶化されるぐらいの愛妻弁当だって作ってくれる。
セックスこそタブーな気がしてしていないけど、それ以外は新婚の頃のままだ。
ただ、今日のような日……寺に行く日だけは、急に表情が翳る。
もう寺に行くのを止めたほうがいいんじゃないか。
いくら亡くなった子供を思っての事だとしても、引き摺られすぎなんじゃないか。
それともそう思うのは、僕が出産に立ち会っていないからなのか。
僕は父親として、情が浅いのか。
アパートに一人いると、そんな事を悶々と考えてしまう。


気がつけば、窓の外には夕日が見えていた。
平日の疲れからか、知らないうちにリビングのソファで寝入ってしまっていたらしい。
「……和紗?」
寝室の方へ声を掛けてみるけれど、返事はない。トイレにも、風呂にも、和紗の姿はなかった。
今日も遅いのか。地元の知り合いと話し込んでいる内に、泊まる事になったのかもしれない。
僕はそんな事を考えながら、冷蔵庫を開ける。
中には、和紗が作ってくれたブリ大根が冷えていた。僕は素朴なこれが好きだ。
でも、何か物足りない。いくらレンジで温めても、どんなに美味しくても、一緒に食べる相手がいないと暖かみが感じられない。
「もう、呑むしかないな……」
寂しさを紛らわせようと、僕はテレビを見ながら一人で晩酌を始めた。
まるで家庭に居場所のないオヤジみたいだ。
ふとそんな事を考え、殆ど間違っていない事実に涙が出そうになる。
気分が落ち込んでいる時は、何もかもが不快だ。
和紗と並んで見ている時は楽しかったバラエティ番組も、今は笑える気さえしない。
起きていても不快なだけだ。
僕は速いペースで酒を進め、電気を消して、無理矢理に夢の世界に逃避する。

そして、しばらく後。
家の傍に一台の車が止まった音で、僕は眠りから醒めた。
時計を見ると12時を回っている。
和紗が帰ってきたのか、とも思ったけど、すぐにそうじゃない事に気がついた。
もし和紗が知り合いに送って貰ったんだとしても、マンションの正面に車を止めるはずだ。
でも、今車が止まったのは裏手の駐車場。
裏の駐車場はうちのマンションとは関係がなく、寂れた雰囲気の割に結構広い。
だから若者連中が、宿代を浮かすためにそこで車中泊する事もよくある。
ただ静かに寝てくれるならいいけど、大体は酒盛りやらを始めて騒ぐから、マンション側の人間としてはいい迷惑だ。
そして悪いことに、今日の来客もまた“そういう類”らしい。

車が止まってからしばらくは、何の音も聴こえてこなかった。
でも暇つぶしがてら窓辺で耳を澄ましていると、かすかに水音のようなものがし始める。
最初こそ控えめだったその水音は、ある時を境に大きくなった。
じゅるっ、じゅるっ、という生々しい音。和紗のフェラチオを思い出して、しばらくご無沙汰だった僕はそれだけで少し勃起してしまう。
そのうち聴いているだけじゃ物足りなくなって、僕は小さくカーテンを開けた。
草だらけの駐車場には、それらしいワゴンが一つ。
深夜の駐車場は暗く、ワゴン自体も若干死角にあるせいで、車内の様子までははっきり見えない。
それでも運転席に男が座っている事と、助手席の女がその股間に覆い被さっているらしい事は見て取れた。
女の背中は、薄暗い車内でも白く浮かび上がっていて、なんだか幻想的だ。
 ――和紗。
嫌でも、最愛の妻が脳裏に浮かぶ。
体目当てで付き合っていた訳じゃ断じてない。でも今の僕は、彼女の白い裸を思い出して勃起していた。

そして、しばらくした頃。それまで続いていた水音が、ふいに聴こえなくなる。
代わりにし始めたのは、ギッギッと車体の揺れる音。
何度かこの部屋でカーセックスの現場を見ているせいで、それが『行為』の音だとすぐに解った。
非常識だ。よりによって、こんな場所でするなんて。
僕は毎度のごとくそう思いつつも、誘惑に駆られて小さくカーテンを開けてしまう。
相変わらずはっきりとは見えない。
でも色白の女性が、誰かの上に跨っている事だけはわかる。
長い黒髪に、若い身体。今までにもカーセックス現場で何度となく見たタイプだ。
でも今は、その後姿が和紗にダブって見えてしまう。
男の首に手を回して、大きくお尻を上下させる黒髪女性……。
『あっ、あっ…………』
抑えがちな喘ぎ声まで、和紗に思えてしまう。
今の僕は異常だ。
自分の意思とは無関係にアレを握って、扱いている。漏れ聴こえる音と声をオカズにして。
「うう、和紗……ああ、あ、和紗ぁ………………っ!!!」
押し殺した声で呻きながら、僕は射精した。こんな時でも、外に聞こえないよう気を遣ってしまう自分が嫌だ。
「はぁっ、はあっ……はぁっ…………」
する事を済ませると、ひどい倦怠感が襲ってきた。
数週間分溜めた精液は、盛大に床やガラステーブルに飛び散っているみたいだ。
その片付けも億劫だけど、それ以上に後悔の念が強い。
見知らぬ女性を、和紗に見立てて慰めてしまった事。それが彼女へのひどい裏切りのような気がして、
僕は静かに泣いた。



                             続く

向こう岸の彼女 五話

楽しい時間はすぐに過ぎる。
大学時代の僕はまさにその状態で、あっという間に次の季節が巡ってくるようだった。
その間には色々な思い出がある。嬉しいことも、ちょっと複雑なことも。

『ちょっと複雑なこと』っていうのは、例えばこうだ。
ある日僕は、和紗の働く居酒屋を大人数で訪れていた。
僕の大学の友人4人と、英児の大学の友人5人。
僕と英児自身、そして後から参加した和紗を含めて、合計12人の大所帯だ。
和紗のバイト先に英児を連れて行って以来、こういう事は何度かあった。
人数が人数だけに、ほぼ貸切状態で大いに盛り上がる。
輪の中心はやっぱり英児。人当たりが良くて面白い英児は、僕の友人達ともすぐに打ち解けた。
その彼を王子様とするなら、姫役は和紗だ。
グループには和紗以外にも2人女の子がいたけど、正直、和紗ほどの華はない。
都会に来て化粧を覚えた和紗は、本当に新人アナウンサーかスチュワーデスか、という綺麗さなんだから。
となると当然、英児と和紗はお似合い、という流れになる。
この時点では僕は、友人達に和紗と付き合っている事を秘密にしていた。
なんとなく恥ずかしくて言えなかったからだけど、それがまずかった。

「やーん、やっぱ様になるー!!」
「だよなー。もうそのまま付き合っちゃえよ、お前ら!!」
酔った勢いで、英児と和紗が横並びに密着させられ、囃し立てられる。
和紗は居心地悪そうに苦笑いするばかり。英児も同じく苦笑しつつ、よせよー、なんて言っている。
そして僕は、それを遠巻きに見て胸を痛めていた。
美男美女の2人はよく似合っている。僕と和紗の組み合わせよりも、ずっと。
それでも……いや、だからこそ、親友と和紗の肌が少しでも触れているのが嫌だった。
多分、僕は怖かったんだ。自分の居場所を脅かされるのが。
場のノリで、英児が和紗の肩に手を回す。それを見た瞬間、僕は思わずトイレに立っていた。
吐き気があったわけじゃない。ただ、その瞬間を見たくなかったんだ。
「はー、もう最高だよこれ!!」
「ホラホラ、写真撮るからそのままねー!」
後ろから聴こえてくる歓声を聞くだけでも、つい涙が滲んだ。

飲み会がお開きになった後、英児からは謝罪のメールが届いた。
場のノリに流されてしまった事への謝罪だ。
僕はその誠実な文面を追ううちに、自分が恥ずかしくなってくる。
考えてみれば、英児も被害者なんだ。
僕自身が和紗と付き合っている事実を明かさないんだから、彼がそれを公言する訳にもいかない。
それが枷となって、場の流れに呑まれる形になったに違いない。
 ――気にしてないよ、こっちこそ気を遣わせてごめんね。
僕がそう返信しようとした瞬間だ。
「そんなの、見てちゃダメっ!」
隣を歩いていた和紗が、指を伸ばして携帯の電源を消してくる。
「ちょ、ちょっと。今メールが……!」
そう言いかけて僕は、次の言葉を呑みこんだ。目の前に、今にも泣き出しそうな和紗の顔があったからだ。
そうだ、ここにも被害者がいたんだ。
居酒屋の客であり、僕の友人でもある人間に囲まれて、抵抗のしようもなかった彼女。
その作り笑顔の下では、僕への申し訳ない気持ちに苛まれていたんだろう。
僕と同じぐらい、苦しんでくれていたんだろう。
それに気付いた瞬間、改めて彼女が愛おしくて仕方なくなる。
「和紗…………!!」
僕は無意識に彼女を抱きしめていた。
「っ、壮介ぇ…………!!」
彼女も僕の腰を抱きしめ返した。
この夜が、僕らの二度目の交わり。性欲を満たす以上に、ひたすら肌を合わせ、お互いの存在を感じあう夜だった。
「壮介以外の人に、馴れ馴れしくされるのはイヤ」
和紗はベッドの上で僕と触れ合いながら、何度もそう言った。

和紗が僕を想ってくれる事。それこそ、僕にとっての『嬉しいこと』だ。

「ソースケ、久しぶりに服でも買いに行こうぜ。あ、良かったら和紗ちゃんもどう?
 こないだの侘びにさ、気に入ったのがあったら、2人の分も俺が買うよ」
居酒屋での一件から数日後、英児がそう誘ってきた。
僕としては有り難い申し出だ。英児のファッションセンスは僕より遥かに良い。
自分が悩み抜いて買った服と、英児が見立てた服だと、周囲の反応が全然違うなんて事もザラだ。
和紗も最初は遠慮していたものの、最後には英児の顔を立てるような感じで承諾していた。

「……おっ、これなんてどう? 和紗ちゃんに合いそうだけど」
店についてからものの数分で、英児は和紗用の服を選ぶ。
相変わらずこの即断即決ぶりには驚くばかりだ。おまけにそのチョイスも的確なんだから、本当に人種が違うとしか思えない。
これが甲斐性のある男、というサンプルを見せられている気分になる。
「おっ、良いっスねぇ。よく似合いますよーきっと!」
店員も英児の選んだ服を絶賛していた。
実際、僕もいいとは思う。
上は胸元が大胆に空いて、腕や脇腹の一部がシースルーになった黒シャツ。
下はフェイクレザーのホットパンツ。
色白でスタイルのいい和紗のような女性が黒一色で纏めると、かなりカッコいい。
さらに、シャツの構造で巨乳が、ホットパンツで美脚が際立って、道行く男という男を骨抜きにしてしまいそうだ。
日本人離れした、エロカッコいいファッション……そんな印象だった。
「んー……壮介は、どう?」
和紗はその服を少し見つめた後、急に僕へ話を振る。
「えっ! えー、っと…………」
僕は慌てた。正直、親友の勧めるものに合わせていれば間違いないんじゃ、とは思う。
でもせっかく意見を聞いてくれたんだから、僕なりに考えないと。
それに、彼のチョイスは少し肌の露出が多すぎる。あんまり和紗の肌を他人に見られたくない。
「こっちとか……どうかな」
僕が選んだのは、それこそ女子アナが着ていそうな、清楚そうな服。
半袖の紺色ブラウスに、膝上の白スカートという鉄板の格好だ。
和紗は僕の選んだ服を手にとって、しばらく眺めてから、にっこりと笑う。
「…………ん、そだね。こっちにするよ! ごめんね英児くん」
和紗がはっきりそう告げると、英児と店員は揃って意外そうな顔をする。
でも英児は、すぐに屈託なく笑った。
「ハハハ、そっか。確かにこっちは、ちょっと露出多かったかもな。ごめん、変なの選んじゃって」
「ううん。多分まだ、私のセンスが都会に追いついてないだけ。この辺りでも、そういう服着てるおしゃれな子多いもんね」
「自分が着たいもんを着りゃいいさ。流行りなんてすぐ変わるんだから、無理に合わせようとすることもないって」
英児と和紗は、和やかに会話を続ける。僕はそれを笑顔で見守った。
英児には悪いことをしたかもしれない。
でも僕は、彼女が僕の服に決めてくれたことが素直に嬉しかった。

そう。彼女はいつも、僕のことを一番に考えてくれる。
ルックスでも甲斐性でも、僕より上の男なんていくらでもいるっていうのに。
だから僕も、彼女のことを一番に考え続けた。
あの“悪夢の夜”だって、それは変わらなかった。




忘れもしない。あれは就活真っ只中の、ある夜のこと。
僕は慣れない面接の連続で疲れきり、ヘトヘトの状態で和紗の居酒屋に向かっていた。
もちろん、和紗の笑顔に癒されるためだ。
でもその日に限って、店の様子がおかしかった。
店でよく見かけるお客さん達が、次々と引き戸を開けて歩き去っていく。まるで、店内の何かから逃げ出すように。
 ――火事でも起きたんだろうか。だとしたら、中にいるはずの和紗は?
僕は心配になり、開いた戸の間からそっと中の様子を窺う。
そして、次の瞬間。僕は思わず目を疑った。
視界に入り込んできたのは、石山。英児と出会う前の僕をイジめていた、アイツだ。
石山は中学の頃のイメージそのままに、さらにゴツくなっていた。赤シャツから覗く太い腕には虎の刺青があって、とにかくガラが悪い。
さっき客達が逃げ出していたのも当然だ。あんなヤバイ奴と同席したがる人間なんている筈がない。
僕だっていつもなら、一も二もなく無視を決め込むところだ。アイツの陣取っている場所が、この居酒屋でさえなければ。

「おら姉ちゃん、もっとグーッといけや。まだほろ酔いだろうが!」
石山はそうがなり立てながら、肩を抱いた女性の手にグラスを押し付ける。
「やぇて、ください……もう……こぇ以上は…………」
女性は呻くように首を振った。呂律が回っていないが、その声には聞き覚えがある。そして、その割烹着には見覚えがある。
ウソだ。ウソだ、ウソだ!
僕は何度か脳内でそう繰り返した。でも、誤魔化しようがない。
石山に肩を抱かれているのは…………和紗だ。
その事実に気付いた瞬間、僕の中を衝撃が貫いた。体中に冷や汗がどっと出て、歯がガチガチと鳴る。足が震え始めて、両の膝頭が何度もぶつかる。
知らなかった。大切な物を脅かされる恐怖が、これほどだなんて。

僕は店内の人間に悟られないよう、震え始めた体を戸の影へと隠す。
すると見える光景も変わった。店の主人である佐野さんが、同じくチンピラめいた数人に囲まれている。
脅されているという程ではないけど、気の弱い佐野さんのこと、その状態で警察に電話するなんて無理だろう。
恐る恐る、視点を石山の方に戻す。
「何言ってんだ、まだ素面じゃねぇか。酔いが浅ぇよ。そこ一度超えてみな、グーンと気持ちよくなって来っからよ」
和紗が震える手で支えるコップに、石山がなみなみと酒を注いでいく。明らかに日本酒だ。
和紗は、それをどのぐらい飲まされているんだろう。
たとえ客と砕けた相伴をするにしても、店内にいる間は常にシャンと背を伸ばしているのが彼女だ。
そのせいで大きな胸がさらに強調されて、よく男の視線を釘付けにする。
それが今や、テーブルに突っ伏す寸前という感じで前屈みになってしまっていた。
目は虚ろで、顔は風邪の一番ひどい時のように赤い。
明らかにグロッキーという状態。
恋人のその様子を見て、僕は震えながらに決意する。
僕が助けなきゃ。和紗を助けられるのは、僕しかいない。何度も深呼吸をしながら、そう自分に言い聞かせる。
本当なら、ここはまず警察を呼ぶべき場面なんだろう。
でもそんな冷静な判断なんて、この時の僕にはできなかった。
石山――小・中学校と僕を虐め続け、ネガティブ思考を植えつけた張本人――に、自ら絡んでいかなければならない。
大切な人を守る為に。
その事で頭が一杯になって、一歩引いた考えをする余裕がなかったんだ。

僕は意を決し、勢いよく引き戸を開けた。
下卑た笑いに満ちていた店内が一瞬静まって、合計14の視線がこっちに集まる。
「よ、よぉ、石山くん。久し振りだなあ!!」
僕は底抜けに明るい声を出して石山に歩み寄った。そして、空いた席……石山を挟んだ和紗の逆サイドに腰掛ける。
「あ? ンだテメェ…………!」
まず石山の取り巻きが凄んできた。石山本人も、不機嫌そうにこっちを睨み下ろしてくる。
間近で見ると、まるで関取だ。上半身は僕より4周りは大きくて、とてもとても力では敵いそうにない。
「…………!!」
石山の巨体越しに、和紗がこっちを見ているのが解った。でも、それはあえて無視する。
もし和紗が僕の彼女なんて知られた日には、それこそ何をされるか判らないから。
「どけよ、オラッ!!」
石山の取り巻きが僕を椅子からどけようとするけれど、必死に踏みとどまる。石山の目を覗き込んだまま。
「お前まさか…………ショボ助か?」
しばらく僕を睨んでいた石山は、ようやくそう呟いた。
その言葉で、僕の襟元を掴んでいた取り巻き連中の動きが止まる。
「えっ……し、知り合いっすか石山クン!?」
「ああ。知り合いっつか、中学ン時に可愛がってた奴だよ。なぁ、ショボ助?」
ショボ助。それは、本名である壮介(そうすけ)をもじった僕の仇名だ。
「あ、ああ、ああ。そーいう!」
「なーるほど。ヨロシクねぇショボ助」
石山がその蔑称を使った時点で、すぐに取り巻き達も僕の扱いを理解したみたいだ。
馴れ馴れしく肩に手を回しながら、こめかみをグリグリと指で抉ってくる。かなり痛いけれど、ぐっと我慢する。

「でよォ、ショボ助。悪ぃけど俺ら、今この姉ちゃんと楽しんでるんだわ。話はまた後な」
石山は小馬鹿にしたような一瞥を寄越しつつ、和紗を抱き寄せる。
その動きを見た瞬間、また僕の心臓は締め付けられた。
「そう言うなって。せっかく久し振りに会えたんだからさ」
僕はそう言ってコップに酒を注ぎ、石山に差し出した。
石山が目を丸くする。まさかあの気弱な僕がそんな反応をするなんて、という感じだ。
確かに普段の僕らしくはない。今だけの強気だ。
「テメェ……言うじゃねぇかよ。英児のお気に入りだからって、図に乗ってんのかコラ!?」
「そ、そんな事ないよ。ただ、せっかくだからさ。昔の知り合いって、意外と中々会えないじゃないか!」
凄む石山に怯えつつも、僕は必死に食い下がる。何としても和紗から意識を外させるために。
その甲斐あってか、石山は和紗の肩から手を退けた。そして、本格的に僕に向き直る。
「ほぉー、そうかそうか。うーし解った、なら付き合ってやる。
 おいお前らァ、コイツが朝まで呑みたいってよ。ジャンジャン飲ませてやれや!!」
下衆な本性をむき出しにして、石山が笑った。それを受けて、取り巻きも笑う。そしてコップに酒を注いでは、僕の前に叩きつける。
「うーぃショボ助クーンお待たせー。どんどん飲んでよ!!」
「そうそう。ほら、一気、一気!!」
コールに煽られながら、僕は覚悟を決める。そして目の前のコップを掴むと、一気に口の中へ流し込んだ。
熱さが喉を灼く。ツンとしたアルコール臭が鼻の奥を刺す。
「お、いけんじゃねーか。オラもっといこうぜ!!」
「この店、酒はまだまだあっからよ。遠慮はいらねーよ?」
一杯を飲み干しても、すぐに次の一杯が手渡される。
2杯目の一気。眼球が煮込まれたようにどろりと揺らいで、頭がスカスカになる。世界が光と共に回るようだ。
「ハイ次ー!」
そして、駄目押しの3杯目……。
僕はけっして酒が強い訳じゃない。こんな無茶な飲み方をして、大丈夫とは思えない。
でも、耐えるしかなかった。ここで逃げ出したら、残された和紗にターゲットが向くのは明らかなんだから。

延々と酒を呑まされる中で、石山が武勇伝らしき事を語っているのが聴こえていた。
余裕がなくて、話の内容は頭に入らない。
でもどの部分を切り取って聞いても、ろくな事じゃなかった。
無免許で車を爆走させた話。酔った勢いで旅館の従業員をレイプした話。バイトするのが馬鹿らしくなるほど美人局で荒稼ぎした話。
そんな犯罪自慢を延々と繰り返している。
それを聞くうち、僕はそんな奴が和紗の肩を抱いている事がいよいよ許せなくなった。
だから、必死に耐える。
何杯目か忘れたけれど、テキーラを一気飲みさせられた瞬間は本当に危なかった。
飲み干した瞬間に脳がサイレンを鳴らし続け、堪らずにトイレに駆け込む。
そしてドアを開けた瞬間、我慢できずトイレの壁じゅうに吐瀉物をぶちまけてしまう。
「う゛っ、うう゛ぇあ゛っ、あげぼっ…………!!」
吐いても吐いても、涙と胃液がとにかく止まらなかった。

千鳥足で店内に戻ると、テーブルの酒瓶の数がまた増えている。
増えた分は、ほぼ和紗が呑まされた分だろう。
僕が助けに入った時よりもさらにぐったりとした和紗は今、石山に寄りかかるようにして乳房を揉みしだかれていた。
「んん、ん…………ぅあ」
苦しげに眉を顰め、呻く和紗。
その眉根と同じく、割烹着の左胸にも深い皺が寄っている。
僕はその光景を見た瞬間、また意地になって石山の横に割り込んだ。

その後覚えているのは、喉の灼けるような痛みと、回りながらドロドロに溶けていく視界だけ。
何杯も何杯も、囃されながら酒を飲み干し、そのたびに気分が悪くなる。
何度もトイレで吐いては、心の底に燻るものを頼りに舞い戻った。
そうして限界の限界まで踏ん張ったつもりだったけど、結局はいつの間にか落ちていたみたいだ。
それに気付いたのは、誰かの手で揺り起こされた後だった。


「…………よう。目が覚めたかよ、ヒーロー」

開いた瞼の間に見えるのは、日本人離れした彫りの深い顔つき。
脳をハンマーで叩き潰されるような気分の中でも判る、親友の顔だ。
辺りはひどく白い。どうやら朝方らしい。
「なん、で…………英児、が…………?」
普通に喋ったつもりなのに、酒焼けのせいでほとんど声にならない。
でも通じはしたみたいで、英児は白い歯を覗かせた。
「昨夜、この辺通りかかったダチが知らせてくれてさ。お前と和紗ちゃんがヤベエってんで飛んできたんだ。
 石山のクソヤロー、俺が顔見せた途端に尻尾巻いて逃げてったぜ」
その言葉を聞いて、僕は心底からホッとする。吐き気がひどくて、溜め息さえつけないけど。
「壮介」
ふと上の方から、泣きそうな声が降ってくる。
なんとか見上げると、そこには目に涙を溜めた和紗の顔があった。
視線が合った次の瞬間、和紗は僕に抱きついてくる。そして、声を上げて泣いた。
「…………ごめん。ごめんね壮介。私のせいで…………ごめん…………!!」
泣きじゃくりながら、和紗はそう繰り返す。意識がハッキリしている辺り、僕よりはマシな状態みたいだ。
「平気だよ。和紗が無事で、よかった」
僕は力を振り絞って囁く。
すると返事の代わりなのか、和紗の指がぎゅっと僕の背中を握りしめてくる。
「しっかし、スゲー奴だよお前は。俺らが助けに来るまで、こんなに粘るなんてよ。さすがは俺の親友!」
英児がテーブルに散乱した酒瓶を眺めて笑う。
見事にボロボロだけど、どうにか彼女を守れたみたいだし、自慢の親友からも褒められた。
最悪な気分の中でも、少しだけ嬉しさがこみ上げてくるのがわかった。




この一件をきっかけに、和紗は居酒屋でのバイトを辞める事になった。
またいつ石山が来るかも解らないから。
佐野さんは、残念そうにしつつも引き止めることはしない。
でも最後の最後、僕だけを呼び止めて手招きする。
「…………あの子達、本当にキミの知り合いだったの?」
佐野さんにじっと見つめたまま問い詰められ、僕は頭を下げる。
「はい……。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いやいや、謝るのはこっちの方だよ。私はどうにも気が弱くてね、本当は警察でも呼ぶべきだったのに、出来なかった。
 そのお詫びといってはなんだけど、これね。気分転換に2人で行って来てよ」
佐野さんはそう言いながら、封筒に入った何かを差し出した。
中を確認して、仰天する。それは、ハワイ旅行のペアチケットだったんだから。
いくらお詫びと言ったって、高価すぎる。
「えっ……! い、頂けません、こんな物!!」
僕は思わず返そうとしたけれど、佐野さんは受け取ろうとしない。
「いやいや、良いんだよ。知り合いからたまたま貰っただけだから。僕は一緒に行く相手もいないからさ、活用してよ」
そんな問答を繰り返して、最後には佐野さんの好意に甘える事になる。

帰り道を和紗と歩きながら、僕は密かに決意していた。
この機を逃す手はない。これを僕らの新婚旅行にしよう、と。
でもそれを和紗に打ち明ける前に、まずする事がある。
3日後。
僕は、海が一望できるレストランに和紗を呼び出した。
「なんだか、緊張しちゃうね。でも、今日はどうしたの? こんな所で…………」
シャンデリアの眩しい高級レストランで、料理を待つ。
その間和紗ははにかんだように笑いながら、何度も僕に話しかけた。
でも僕は、それに生返事を返すばかり。
これからしようとしている事への緊張で、きっと顔も強張りっぱなしだ。
とうとう会話も途切れた頃、コース料理の前菜が来る。
食べた事もない、高級フランス料理のフルコース。
個室を取ったからマナーに気をつかう必要はあまりないとはいえ、お互いに緊張の極みだった。
ただそれでも和紗は、僕よりいくらか上手に食べているみたいだった。やっぱり、要領がいい。
僕はこれから、そんな彼女に…………結婚を申し込もうとしている。

コース料理が残りデザートのみとなった所で、皿を下げにきたウェイターさんに目配せする。
電話で予約を入れた時から親身になって相談に乗ってくれた人だ。
彼は整った顔立ちのまま、任せてくださいとばかりに笑った。
そして、数分後。徐々に部屋の照明が落とされる。
煌びやかな黄金色の空間が、シックなムードの漂う赤銅色に変わっていく。
「あれ? ちょっと暗くなってない…………?」
和紗がふと天井を見上げた瞬間、僕は足元の荷物から箱を取り出す。
そして正面に向き直った和紗の前へ、その箱を差し出した。

「う、鵜久森さん。僕と、結婚してください!!」

何十通りと文句は考えた。
でも洒落たものほど僕らしくない気がして、結局はこのシンプルな言葉に決めた。
鵜久森さん、なんて呼ぶのはいつ以来だろう。
出会った頃の事が思い出されて、ひどく懐かしい気分になる。
和紗は……しばらく、僕の開いた箱の中を見つめていた。
わずか0.2カラットのダイヤがあしらわれた、小さな小さな婚約指輪。
けれども、今の僕の精一杯を込めた指輪だ。
僕が固唾を呑んで見守る中、和紗の両手が口に添えられた。
そして、数秒後。爛々と見開かれた瞳から、ボロボロと涙が零れはじめる。
「う、うっ…………ひっく、うっ…………!!」
その様子に、僕は心配になる。
もしかして、ダイヤが余りにも貧相すぎたんだろうか?
やっぱり学生の身で無理なんてせずに、社会人になってからお金を溜めて、ちゃんとした物を買うべきだったのか?
そんな事を考えていると、小さな声が聴こえてくる。
「う、うれし…………い………………あり、がと………………ありがと、壮介………………!!」
涙を流し続けながら、確かに和紗はそう言った。
そしてその瞬間、ドアが開いて満面の笑みのウェイターさんが姿を現す。
「おめでとうございます!!」
彼は僕にも笑みを見せながら、キャンドルの灯ったケーキをテーブルに置いた。
僕らを優しい光で包むそれは、ひどく胸に響いて、僕まで目に涙が滲んでくる。
出会ってから、約5年。
僕らはこの瞬間ついに、お互いを人生の伴侶とする事に決めたんだ。




青い海に白い砂浜、そして雄大な自然。
ハワイでの新婚旅行は、それはもう楽しかった。
クルージングで他の数組のカップルと共に新婚を祝われた時には、妙にくすぐったい気分になったりした。
そして和紗の薬指に光るのは、僕の送った小さな指輪だ。
「小さくって可愛いよね、これ」
僕の視線に気がつくと、和紗は目を細めて笑いながら指輪にキスをする。
波飛沫を背景にしたその姿は、女神のように輝いていた。

昼は海で楽しみ、夜はホテルで身体を重ねる。
「…………ふふ、イキそうなの?」
裸の和紗が僕に覆い被さるようにして、アレを扱いてきた。
最初こそ僕がリードしていたセックスだけど、回数を重ねるごとに、和紗主導になっていく。
草食系の権化のような僕がいつもリードするのには、やっぱり無理があったから。
「ああ、う……っぁ……」
和紗の責めは本当に気持ちよくて、僕はつい呻いてしまう。
「イキそうな壮介の顔って、すごく可愛い」
和紗は真正面から僕の顔を覗き込みながら、そう囁いた。
僕にしてみれば、そんな和紗の顔こそキレイすぎて見惚れてしまう。
興奮のあまり、和紗の柔らかい手の中で何度も分身が跳ねる。
その度にクスッと笑われるのが恥ずかしい。
和紗は僕の分身を弄び続ける。
たっぷりの先走り汁がいい潤滑剤になって、クチュクチュと音が響く。
まるで和紗のアソコに入れてるみたいだ。そう考えた瞬間、僕はいよいよ興奮して堪らなくなった。
「和紗……」
喘ぎながら、目の前の顔に呼びかける。
「なに?」
和紗はくるくるとした瞳を細めて、僕を見つめ返す。僕の望みは多分解ってるんだろうに。
「和紗の中に…………いれたい」
僕は、我ながら弱弱しい声で哀願する。もう虚勢を張るような余裕もない。今にも、何かの間違いで射精してしまいそうなんだから。
「ふふっ」
和紗はそんな僕に蕩けるような笑みをくれて、前屈みだった姿勢を戻した。
僕の視界一杯に広がるのは、彼女のあまりにも整った体。迫力のある胸に、よく括れた腰。
こんな綺麗な人が、僕の彼女……いや、婚約者だなんて、今まさに繋がろうとしている瞬間でさえ信じられない。

筋張った2本の美脚が下りてきて、僕の分身を呑み込んでいく。
いつも思うことだけど、和紗の中はかなり締まる。和紗以外とは経験がないから比較は出来ないけど、締め付けは強いほうだと思う。
元々限界寸前だったのもあって、僕は奥深くまで分身を呑みこまれた瞬間に、小さく呻いて達してしまった。
「あっ! 出てる…………」
和紗は驚いたように呟いた。
普段はゴムをする事が多いけど、今日に限っては生のままだ。だから、射精の感覚もはっきり伝わるんだろう。
「ごめん。我慢できなくって」
「ううん、いいよ。たっぷり出して」
僕の謝罪に、和紗はいやがるどころか、とびきりの笑顔をくれる。
僕はその言葉に安心して、好きなだけ快楽を貪ることにした。
和紗主導なだけじゃなく、僕自身も和紗の括れた腰を掴んで深くまで挿入する。
そうすると、和紗が気持ち良さそうに喘いでくれるから嬉しかった。
お互いが汗に塗れながら、海を臨むベッドの上で、延々と求め合う。
高揚と興奮が入り混じって、いくらしても冷めることはなかった。

「…………これだけしたら、確実に子供出来るよね」
4回目の小休止の時、和紗はお腹を撫でながら言う。
僕もその通りだと思った。これだけ執拗に膣内出しして、出来ない訳がない。
でも、後悔はなかった。子供が出来ても構わない。
これから社会人になる身として、妻と子供、両方を支えていく覚悟はとうに出来ている。
「私と壮介の子供って、どんなかなぁ」
「多分、和紗に似てるんじゃないかな。というか、そうであって欲しいな」
「何言ってるの。両方に似てるに決まってるでしょ」
「顔はともかく、運動神経の鈍さは受け継いで欲しくないな……」
「あ、それは確かに」
手を繋いだままベッドで横並びになって、僕らは将来の子供に想像を巡らせる。
色々意見を交し合ったけど、結論は決まっていた。
「…………きっと、優しい子になるんだろうね」
「うん」
それだけは間違いない。僕と和紗の子供なんだから、優しいに決まってる。
僕だってそこにだけは自信がある。和紗に選ばれた唯一の長所――それが『優しさ』なんだから。
仕事が出来ないのも、不甲斐ないのも簡単には変わらないだろう。
でも、優しさという長所だけは無くさない。
いつまでも、妻と子供を優しく見守っていく夫になろう。
僕はまた和紗とキスを交わし始めながら、改めてそう決意した。


                     続く
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